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2009年11月 7日

『唯一郎句集』 レビュー #76

一昨日の晩からのじんましんは、薬が効いてきたのか、痒みの範囲が段々狭くなり、少しは楽になってきた。髪の毛の中の頭皮までかきむしらずに済むようになった。

夕べは少しはまともに眠れた。暖かさが戻ったが、体が温まると痒いので、布団を薄いものに掛け替えたりしたのもよかったようだ。

さて、週末恒例の『唯一郎句集』レビューである。本日レビューするのは 2句。「久生三男を悼む二句」とある。唯一郎の子どもの中で私の母をのぞく男の子 3人(つまり私の伯父)は全員知っているが、一番下の伯父の上にもう一人男の子がいたようだ。

それについては、私はついぞ聞いたことがないが、その子は生まれて間もないうちに亡くなったものらしい。その子を悼む 2句である。

ところが、死を悼む句とはいいながら、クールでさりげない。自分の子の死を悼むものとはわからないぐらいだ。しかし、よく考えれば名前を付けたばかりの頃に亡くなってしまった子に対して、過度にセンチメンタルな思いを抱く方が偽善的といえるかもしれない。

唯一郎は、三男の死をどう捉えたらいいのかわからず、ただ呆然としているのだろう。

  久生三男を悼む二句

ポンポンダリア投げ入れる露のまま

ポンポンダリアの小さな花が集まってまん丸くなっている形が、もしかしたら、幼子の頭のように見えたのかもしれない。それを露のまま、つまり生きているままのようにして花瓶に活ける父。

悲しみの形をどう捉えるべきかわからず、露に濡れて生き生きと輝くダリアを眺めながら心の奥をのぞく父としての唯一郎。

白い茸のけさひらくを見て戻る

白い茸のひらいていたのは、墓地の周辺だろうか。白い茸がいたいけな赤子の化身のようにみえ、自らに語りかけているような気がしたのだろうか。

本日はこれにて。

 

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