死刑制度に懐疑的になりつつある私
私は過去に何度か死刑について論じたことがあって、その中で、死刑制度に関して賛成でも反対でもなく、旗幟鮮明でないということを告白している。(参照)
しかし最近になって、自分が死刑制度は廃止した方がいいんじゃないかという方向に傾きかけていることを感じている。
上記のリンクからたどれる最近の記事の中で、私は池田小殺人事件の宅間某のケースについて触れている。宅間という男は、「おぉ、俺は死にたいんじゃ、さっさと死刑にしてくれ」 とうそぶき、その望み通り、異例の早さでさっさと死刑を執行してもらえたようなのだ。なんというアフターケアのよさだろうか。
人生に絶望して死にたいのだけれど、自殺する踏ん切りもつかず、だったら思い切り無差別大量殺人をし、今まで自分をないがしろにしてきた世間を見返し、思う存分に騒がせて自分に注目を集め、その上でさっさと望み通りに国家の手によって殺してもらうという虫のいい犯罪が、最近いくつかみられるのである。
そして、こうした虫のいい犯罪を犯したものほど、死刑判決の後に「異例の早さで」死刑執行してもらえるようなのだ。これでは、こうした無茶苦茶な犯罪を犯すインセンティブを与えているようなものではないか。
死にたいけれど、自殺はいやだから、死刑の名によってあっさりと殺してもらいたいという者にとっては、死刑制度は格好の「救済制度」になってしまう。しかも、確実に死刑になるためには、できるだけ理不尽で残酷な無差別殺人を犯すに限る。これでは、犯罪抑止力として制定されたはずの死刑制度が、逆に犯罪促進力になりかねない。
というわけで、私は最近、死刑制度存続に甚だ懐疑的なのである。死刑制度の廃止に結構な手間が掛かるなら、少なくとも、死刑判決は下ったものの、なかなか執行されず、結果的には終身刑と同じことになってしまうというような慣習を作ればいいと思う。
法的には死刑判決の 6ヶ月以内の執行が決められているようなのだが、そんなの無視して、自然に死ぬまで刑務所に入れておけばいい。そいつらのメシ代ぐらいは、凶悪犯罪抑止のためなら、負担しようじゃないか。
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コメント
「思う存分に騒がせて自分に注目を集め」と一寸英雄気取りで、あわよくば日本の犯罪史に名を残したいなんてね。無駄に死ぬぐらいならと考える馬鹿が多いのでしょう。
そうした自暴自棄の人間はどのような社会にも存在しますが、それを助長して養成している社会もある訳です。その機構の一つとして厳罰化があるんですね。精神衛生上の問題ですから罰の軽重で解決などはできないので、前近代の日本ならば連帯責任などを科してその周辺で押さえ込むとかしていたのです。しかし、そんなことは鳩山邦夫の言うように百も承知なのですが、それを推奨している行政に責任が及ばないうちに、被害者家族の怨念を晴らすような司法機構が厳罰化というものの正体でしょう。たいへん政治的なものなのですね。カウンセルや医療処置をするよりも、一生食わすよりも、殺してしまうほうが安い訳です。そうした社会がこれまたこうした人間を養成する悪循環を生んでます。
政治家などの自殺やこの手の犯人の精神構造も全く異なっているとは言えません。そうした理不尽を許す理不尽な社会というものがあると思います。
投稿: pfaelzerwein | 2009年12月23日 15:02
最近はこの手の無差別殺人が確かに増えてきていますね。マスコミがこの種の事件を大々的に追っかけてしまうことも模倣犯を生む一因になっている気がします。
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/12/post-1129.html
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/03/post-365.html
によると、ふつうの人はやっぱり生理的に殺せないもののようです。「それをためらうことがない”生粋の兵士”1%の戦闘機が4割の撃墜数を占めている」という記述がありますが、この1%という数字はちょっと怖いですね。
投稿: ぐすたふ | 2009年12月23日 18:55
話が見えないかもしれないので後のリンクの方を先に読んでください。
いったん殺し始めてしまうと「黒の状態」になってしまうのかもしれませんね。
投稿: ぐすたふ | 2009年12月23日 19:02
pfaelzerwein さん:
>そんなことは鳩山邦夫の言うように百も承知なのですが、それを推奨している行政に責任が及ばないうちに、被害者家族の怨念を晴らすような司法機構が厳罰化というものの正体でしょう。
私の前の記事にも、死刑というのは被害者遺族の怨念を晴らすための国家による代理復習であるとするコメントが多くつきました。
私はそれについては明確に否定的ですが、被害者遺族の多くはそうしたことを望むようです。
そろそろそのパラドックスに気付くべきではないかと思います。
確かに政治的な側面もあるのかもしれません。
へたすると、その怨念が国家に向けられかねないですからね。
投稿: tak | 2009年12月23日 19:50
ぐすたふ さん:
ご紹介の書評、大変興味深く拝読しました。
確かに、「面と向った人間を殺す」というのは大変な心理的抵抗があると思います。
国家による「代理復讐」を求めるのは、面と向わずに済むからかもしれません。
ただ、私としては、それではあまりにも 「想像力不足」だという気がします。
この点に関しては、これ以上は具体的な言及を避けます。
大体は、↓ の過去記事に書いたとおりですので。
https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2007/09/post_c900.html
>いったん殺し始めてしまうと「黒の状態」になってしまうのかもしれませんね。
それは十分考えられることですね。
投稿: tak | 2009年12月23日 19:55
takさま
山姥と申します。
毎日の更新、楽しみにしております。
私も最近の犯罪に対して、死刑には犯罪抑止効果があるようには思えません。
あの手の犯罪に、死刑は不毛な気がしてならないのです。
本題から外れてすみませんが、NHKスペシャル(テレビ番組)の話です。
民族紛争があったルワンダでは、虐殺された被害者遺族に対して、加害者が家を建てて償うという
光景がありました。ちょっと信じられない光景でした。すぐそこで、肉親を殺した人間が自分の住む家を建てているのです。
もっと衝撃的だったのが、多数の男に犯されながら刃物でいたぶられた女性のケースです。
彼女は、加害者を赦すと言っていました。カメラに向って笑顔で。
片耳を欠損した彼女は、「復讐する心にとらわれていては何も生まない」
「彼ら加害者が家を一生懸命建てる姿を見て赦した」という趣旨の発言をしていました。
私は、テレビの前でしばらく呆然としました。
もちろん、経済状況や文化がまるで違う日本とは比較できません。生きていくために赦したという側面も否定できないと思います。相互扶助がないと生活が苦しい農村ようでしたから。
しかし、これを見て、私達はもうひとつ進化できる気がしました。(エラソーかしら^^;)
あ、あと 本文の
>しかし最近になって、自分が死刑制度は廃止した方がいいんじゃないかという方向jに傾きかけていることを感じている。
「方向」の後に「j」が入っています。
投稿: 山姥 | 2009年12月23日 21:19
私は死刑存続派ですが、理由の一つは刑の多様化というか。死刑廃止されてれば死刑判決は出せないけど、死刑存続であっても死刑判決は避けられるということです。死刑しかないって事はめったにないでしょうが、死刑がふさわしいって事例は無くならないと思うのです。
決して現在の刑法に問題が無いと思ってる訳ではありませんが、運用の問題だと思います。宅間某のケースなんかだと、死刑が一番面倒が少ないって事でしょうか。執行を猶予しておいて、反省とか後悔の色が見られてきたら執行して欲しいなんて思いますが、ちょっと残酷ですね。
>法的には死刑判決の 6ヶ月以内の執行が決められているようなのだが、そんなの無視して、自然に死ぬまで刑務所に入れておけばいい。
現在似たような事が行われてるわけですが、個人的にはこれがもっとも問題があると思ってます。法務大臣には死刑執行を停止する権限はないのに実質それを行ってるわけです。いうなれば法のトップにいる人間が平然と法を犯してるわけですから。
投稿: cen | 2009年12月23日 23:18
山姥 さん:
NHK スペシャルのルワンダのお話のご紹介、ありがとうございます。
>しかし、これを見て、私達はもうひとつ進化できる気がしました。(エラソーかしら^^;)
いえいえ、エラソーなんてことはちっともありません。
とてもいい話だと思います。
「復讐する心にとらわれていては何も生まない」というのは、真理だと思います。
>「方向」の後に「j」が入っています。
ありゃ、うっかり入れちゃったようです。
さっそく修正しました。
ありがとうございます。
投稿: tak | 2009年12月23日 23:30
cen さん:
>私は死刑存続派ですが、理由の一つは刑の多様化というか。死刑廃止されてれば死刑判決は出せないけど、死刑存続であっても死刑判決は避けられるということです。
>死刑しかないって事はめったにないでしょうが、死刑がふさわしいって事例は無くならないと思うのです。
揚げ足取りするつもりはありませんが、「死刑判決を出す根拠を保証するために死刑を存続させる」というようにも読めてしまいます。
「死刑がふさわしい事例」 というのは、死刑制度を前提とした場合のお話でしょう。
「普遍的に死刑がふさわしい」というケースがあるとは思われません。それは人間の作った制度ですから。
死刑のない国では、「死刑がふさわしい」というケースはないということになります。
>決して現在の刑法に問題が無いと思ってる訳ではありませんが、運用の問題だと思います。宅間某のケースなんかだと、死刑が一番面倒が少ないって事でしょうか。
宅間某のケース、はたして「死刑が一番面倒が少ない」 のでしょうか。
逆に、望み通りにさっさと死刑にしてやることこそが問題だと、私は指摘しているのです。
一番面倒な問題を含んでいると思うからです。
>法務大臣には死刑執行を停止する権限はないのに実質それを行ってるわけです。いうなれば法のトップにいる人間が平然と法を犯してるわけですから。
法務大臣は 「死刑執行を停止」しているわけではありません。執行命令を出さないだけです。
(「するな」と言っているのではなく、「しろ」 と言ってないだけです)
「平然と法を犯してる」ということも言えるのでしょうが、「犯している」というよりは「怠っている」という方が適切だと、私は思います。
そして、このケースに限っては、意識的に怠ってくれる方がいいという気がしています。
投稿: tak | 2009年12月23日 23:49
takさん
死刑という「国家的殺人」によって「悲劇の主人公」になり何らかのカタルシスを得ようとする者にとって妙なインセンティブになってしまうというご懸念は同感です。
被害者の遺族にとっての復讐という観点でも、死刑は後味が悪いというか、倫理的な撥ね返りが強すぎて効用がないのではという見方も同感です。
一方、残酷非道な犯罪者に厳罰を課すことや、納税者の負担をむやみに増加させないことは重要だと思います。
なので、非人道的と言えるくらいの重労働の刑を考案するのが妥当なのではないかと時々思います。
いわゆる「人道的な見地」からの死刑廃止論に対しては全く答えになっていませんが、そちらに対しては死刑存続論のほうがまだ説得力があると思っています。
投稿: きっしー | 2009年12月24日 18:07
きっしー さん:
>なので、非人道的と言えるくらいの重労働の刑を考案するのが妥当なのではないかと時々思います。
「非人道的と言えるくらいの重労働の刑」とまでいかなくても、死刑囚が六ヶ月を超えて刑の執行をまつ間は、少なくとも自分の食い扶持と、管理してもらうコストぐらいは自分で稼ぐだけの労働はすべきだと思います。
納税者の負担をできるだけ軽減するためにも。
>いわゆる「人道的な見地」からの死刑廃止論に対しては全く答えになっていませんが、そちらに対しては死刑存続論のほうがまだ説得力があると思っています。
「人道的な見地からの死刑廃止論」というのは、私としてもよく理解できません。
私が今回主張したのは、死刑が逆効果になることがあるということからの、死刑制度懐疑論ということになります。
投稿: tak | 2009年12月24日 23:35