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2009年12月19日

『唯一郎句集』 レビュー #88

今日は 「吹浦十六羅漢岩」と題された 1句を含む 3句のレビューである。秋に吹浦を訪れたときの句のようだ。

吹浦というのは、酒田の北、約 20キロほどのところにある海岸の街。鳥海山の西の麓が日本海に没するところにある。今では海水浴場としても賑わっている。

庄内砂丘の北のはずれで、吹浦をちょっと越した辺りから海岸が急に隆起し、海までは断崖絶壁になってしまう。鳥海山の西の裾野が急に日本海に没するためで、そのあたりが秋田県との県境だ。

芭蕉の句に 「あつみ山や吹浦かけて夕涼み」というのがある。「あつみ山」とは、庄内砂丘の南のはずれにある温海という温泉町にある「温海山」。ここから庄内砂丘の北のはずれにある吹浦を望みながら夕涼みするという、まことに雄大な句である。

その吹浦の北に、十六羅漢岩というのがある。海の中にある岩に、羅漢さんが 16体刻まれている。ここで詳しく説明する余裕はないので、詳しくは こちら をご覧いただきたい。

さて、さっそくレビューである。

  吹浦十六羅漢岩

阿羅漢の顔ならび巌ならび秋海の底見え

十六羅漢を見ようと、断崖を波打ち際まで下ってきたところだろう。「顔ならび巌ならび」という表現は、まさにそのままの写生。浄土真宗を熱心に信仰する唯一郎にしては、むしろあっさりすぎるほどの表現だ。

まあ、地元ではあまりにも有名な景勝地なので、それについてくどくどと言うのは、月並みな観光俳句になってしまうという気がしたのかもしれない。

それよりも、「秋海の底見え」が、羅漢さんの世界の透明で秀麗な感覚のメタファーとなっている。

秋潟を掘る人々よ沖の岩白浪

これもまた、率直すぎるほどの写生。潮の引いた海岸を掘り、貝を採っている人たちの姿。その向こう、海の中に岩が見え、さらに白浪が見える。ただそれだけだ。

のどかな風景。唯一郎は旅先では、いつものほろ苦いペシミズムから解放されるようだ。旅好きだったのかもしれない。

日がな一日の潮騒をきくこの部屋の糸瓜の下り

宿の窓を開け放ち、一日中潮騒を聞いている。何も余計なことを思わず、ただ旅情に身を浸す。

窓の外に、糸瓜のぶら下がっているのが見える。それもただ風景である。とくに意味をもたないし、あえてそこに付加もしない。

非日常に行けば行くほど、日常の穏やかさの中に入るという、唯一郎の不思議な心情である。

むしろ日常生活の方に、いつも小さな違和感を覚えている故のことと、私は思ってしまう。

本日はこれにて。

 

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