沢庵和尚と虎
恭賀新年。平成 22年、西暦 2010年である。早いもので、西暦も、ついに中程にゼロが 2つ並ばなくてもいい年になった。
今年は寅年。私より 2歳上の、団塊の世代の末尾の人たちが、寅年生まれである。とくにこの年は 「五黄(ごう)の虎」 だから、この年に生まれた女性は気が強いとされる。
別に生まれた年によって気の強さが左右されるということはないと思うのだが、知り合いを見渡すと、確かに「私は五黄の虎の生まれだから」と吹聴する女性は気が強い。亭主を尻に敷く免罪符みたいに、生まれ年を都合よく使っている。ただし同じ年の生まれでも、そんな免罪符が必要ない人だっていくらでもいる。
恒例の年賀状だが、今年はこんなのである 。元ネタは素手で虎を手なづけてしまったという伝説をもつ沢庵和尚ゆかりの臨済宗大徳寺派の高僧、足立泰道和尚の描かれた掛軸を、不遜ながらアレンジさせてもらった。
禅画にはわけのわからんのがいっぱいあって、とくに目立つのが、単に「〇」が描いてあるだけというものだ。単なる「〇」に、禅の極意が表現されているらしい。その「〇」を虎の尻尾に見立てさせていただいたわけである。
沢庵和尚が虎を手なづけたというのは、実話かどうか怪しいものなのだが、講談などの世界ではまことしやかに語り伝えられている。
ある日、将軍徳川家光に朝鮮から珍しい大きなトラが献上されたが、家光は将軍家武芸指南番で、天下無双の剣の達人、柳生但馬守宗矩を虎の檻に入れてみろと、超酔狂なことを言いだした。
ところが柳生宗矩も大したもので、「承知仕りました」と、虎の檻の中に入り、刀を構えて虎に迫った。しばらくにらみ合いが続いたが、ついに、虎は宗矩の威厳に屈して視線をそらす。宗矩は静かに後退し、すばやく檻の外に出た。出たときの宗矩は、さすがに冷や汗びっしょりだったという。
ところが家光の酔狂には限度というものがない。今度は同席していた沢庵和尚に向かい、「どうじゃ、和尚もやってみないか」と言う。和尚はこともあろうに、「お望みとあらば」と、素手で虎の檻に入ったところ、虎は猫のように目を細め、喉を鳴らして甘えたというのである。
禅の世界では、柳生宗矩の姿勢は「主客対立」で、沢庵和尚の姿勢は「主客融合」であると称している。で、まあ、我々も対立よりは融合の方がおめでたいだろうということでいきたいものなのである。
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