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2010年1月10日

『唯一郎句集』レビュー #95

昨日に引き続き、「湯野浜にて八句 のレビュー。今日は後半である。湯野浜に来てから 2~3日経ってからの句だろう。

旅行者ながら、そろそろなんとなく湯野浜の風土に馴染みかけている。旅行気分で高揚するというわけではないが、ゆったりとした風情を味わっているのがわかる。

楽しさをストレートに表現するタイプではない。何をするにしても、何気なくそそくさと行きすぎる。それで当人としてはちゃんと風情を楽しんでいるもののようだ。

さっそくレビューである。

海に日の入るかかはりもなく人ら歩むに交り

庄内の夕暮れ、日は日本海に沈む。海面が黄金に染まり、荘厳なまでの眺めとなる。旅館の部屋もいい部屋はすべて海に向っていて、その素晴らしい景色を眺めることができるようになっている。

しかし、土地の人にとっては日常の風景に過ぎない。夕陽に見とれるわけでもなく、すたすたと歩く。唯一郎もその中に混じって、何気なく歩く。ことさらに夕陽の景色を誉めるよりも、そうした状況に嬉しさを感じている。

日没のあとご覧竹の秋

荘厳な、しかし唯一郎としてはさりげなく見やった日没のあと、海辺の町はどんどん暗くなる。竹藪のシルエットが浮かび上がる。

竹の秋で黄色っぽく染まった竹の葉も、その夕闇に溶け込んでいく。その様がかえって竹の秋という言い方に馴染むように思われる。

防風掘りの男から防風を買ひてもどる

ここでいう 「防風」とは「ハマボウフウ」のことのようだ。海岸に自生するセリ科の植物で、山菜として食用にされたほか、薬用にもされたらしい。

かつては各地の海岸にみられたが、最近は非常に珍しくなっているということだ。私も見たことはない。土地の防風売りの男から防風を買う。当時としても、それほどどこででも買えるものではなかっただろう。

そろそろ酒田に帰る日も近いのだろう。土産に防風を持ち帰る唯一郎。

水族館のおこぜの顔あかず見て空の青

ここに出てくる水族館とは、湯野浜の近くにある加茂水族館だろうと思い、一応 Wikipedia で調べてみたら、昭和 5年に地元有志によって設立された 「山形県水族館」 が、加茂水族館の前身なのだそうだ。

ということは、この句は 昭和 5年以前に作られたものだ。このページより後に、「大正十五年六月北陸関西の俳句行脚」 とか 「昭和二年湯澤の海紅大会にて」 とかいう句があるから、もう所載の時系列はめちゃくちゃだ。

水族館でおこぜのごつい顔にみとれる唯一郎。ごつい顔の背景の空は青い。

本日はこれまで。

 

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