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2010年2月13日

『唯一郎句集』 レビュー #103

レビュー 100回目は秋の句が 3句だったが、次のページはいきなり梅雨の季節に飛ぶ。このあたりは、唯一郎の句が散逸している時期なのだろう。

さっそくレビュー。

神々六月の空青く若竹水をふく朝

「神々」は何と読んだらいいのだろう。形容詞だったら「こうごうしき」にならなければいけないから、やはり「かみがみ」だろうか。

六月の空が高く青く、あまりにも神々しいので、いきなり「神々」と始めたのだろうか。このあたり、すごい感覚である。竹林の若竹にびっしりと朝露がついている。これを「水をふく」と言ってしまっているのもすごい感覚だ。

この世の中にこの世ならぬ神々しさをみる感覚。

梅雨の鶏爐べりに來る手持米なくなる話

昔のことだから、台所は土間にあり、地飼いの鶏が炉べりまで入ってきたりする。そんな中で、手持ちの米が底をつくという話になる。

まあ、鶏を飼っているというのだから、唯一郎の家の話ではないだろう。もしかしたら、妻の実家にでも来ている時の話か。

そんな生臭い話なので、この鶏が食われてしまうのではないかという心配までしたくなる。

神々の空の後に、こんな句がくるというのも、またすごい。

たびびとは鞄をさげ六月の山裾まはりゆけり

この「たびびと」とは、富山の薬売りではないかという気がする。昔は大きな鞄を両肩に提げて、薬を売りにきたものだ。

田舎の隅々にまで薬を商う薬売りが、梅雨時の山裾を廻り、その後ろ姿がだんだん小さくなる。

これも、妻の実家に来ている時の情景かもしれない。

花卯垣散りこの接木のならぶ間隔

卯の花の生け垣で、卯の花が散ってしまった。白い花が見えなくなったので、あとは接木の並ぶ規則正しい間隔が残るのみ。

何も動くものが見えないので、こんなものしか目に入らない田舎の情景。

本日はこれにて。

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