『唯一郎句集』 レビュー #106
急に時間軸が遡って、大正十五年の六月になる。今日の 3句は酒田の同人、一路風と酉水子との三人で、北陸関西方面を旅行し、俳句を作ったときのものだ。
大正十五年六月北陸関西の俳行脚
(同行一路風、酉水子)
新潟句会にて
牡丹さききって居る素足の踵を見せて
途中で立ち寄った新潟で句会に参加したときの句だろう。
牡丹は美人の形容に用いられる。咲ききった牡丹は粋な年増の女性を連想させる。その女性が素足の踵を見せている。かなり艶っぽい句である。
金澤満花城庵にて
夏山の狭霧なつやまをめぐり消ゆや
満花城とは、金沢の俳人、野村満花城。河東碧梧桐に師事し、地方新聞俳壇の選者をつとめ、絵も描いた。この句は、彼の庵からの光景を題材にしたものだろう。
唯一郎独特の、繰り返しによる不思議な感覚の醸造。夏山ということばが繰り返されるとき、「なつやま」 と平仮名になると、狭霧がいかにもゆったりと山の端を巡る様が目に浮かぶようだ。
京都旅宿川久にて
叡山の灯を仰げばのどぼとけを吹きくる風
インターネットを探すと、今でも京都宮川町に 「川久」 という茶屋がある。鴨川沿いにあり、その辺りからなら、叡山の灯も見えるだろう。
盆地の京都の夏は、風が吹かず蒸し暑いが、鴨川沿いなら少しは風が渡る。叡山の灯を見上げる唯一郎の無防備なのど仏をその風が吹きすぎる。若々しく官能的な句だ。
唯一郎は、同行の 3人の中では一番年下のはずで、その一番の若手がこんなすごい句を作るのだから、そりゃあ注目もされただろう。
本日はこれまで。
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コメント
大正末期で、このように踵や喉仏を区の中に入れて歌うのは艶めかしいですね。凄い方ですね。
ところでこの句に感動しているのか、ブログがカーソルを移動するたびに動きます。私のほうの事情でしょうか。パソコンはよく分からないことが起きます。
投稿: keicoco | 2010年2月22日 10:44
keicoco さん:
>大正末期で、このように踵や喉仏を区の中に入れて歌うのは艶めかしいですね。凄い方ですね。
あるいは、大正末期だからこそという気もしますが、それでも、すごいなとは思いますね。
>ところでこの句に感動しているのか、ブログがカーソルを移動するたびに動きます。私のほうの事情でしょうか。パソコンはよく分からないことが起きます。
さて、具体的にどんな症状なのかわかりませんが、一体何が起きたんでしょうね。
投稿: tak | 2010年2月22日 22:54