シンプルとエンプティネス
原研哉というグラフィック・デザイナーがいて、無印良品のアドバイザリーボードのメンバーにもなっている。私はとくに注目するというほどじゃなかったが、ほんの少しだけ意識はしていた。ただ、意識するにしても「ほんの少しだけ」だから、あまりよく知っていたわけじゃない。
だがしかし、これからはこの人に注目することにしよう。なかなかの卓見だ。そう思ったのは、無印良品のトークイベント採録というウェブページ(参照)を読んで、「ふむふむ、なるほど」と膝を打ったからだ。
そのトークのタイトルは「無印良品はシンプルではなくエンプティネス。"空っぽ" の中には何でも入れられます」というものだ。一見するとなんだか、昨日ちょっとだけクサした広告代理店のつくりそうなコピーのように思えたが、どうしてどうして、なかなか読み応え(本当は「聞き応え」だったんだろうが)のあるものだった。
原氏はこのトークイベントの中で、「シンプル」というのは 150年ぐらい前にできたのだとおっしゃっている。「シンプル」が進化して 「複雑」になったのではなく、世界は元々「複雑」から始まったのだという。
その複雑さを理性で乗り越えてシンプルにたどり着いたのが、約 150年前に「近代社会」と言われるようになった頃なのだそうだ。美術史をながめてみれば、確かにその通りで、薄々わかってはいたけれど、改めて言われると「なぁるほど!」と納得する。
ところが、その「シンプル」より早く誕生していたのが、日本の「簡素」というものなのだそうだ。原氏に言わせると、それは応仁の乱で都が焼け野原になってしまったことによる「革命的リセット」なんだそうだ。戦乱と絢爛に倦んだ時代感覚の極まったミニマリズムである。
そのミニマリズムの中に「見立て」というコンセプトによって、全てを観る。枯山水の中に山河を観る。一輪挿しの中に宇宙を観る。それは、「空っぽ」だからだ。「空っぽ」だからこそ、何でもかんでも放り込める。
「無一物中無尽蔵」 という禅語があるが、それを実際の美学の中に生かしているという点においては、日本が世界最高だろう。それは、原氏がこのトークイベントの最初の方で述べておられる「神社」のコンセプトからきていると思われる。
日本の神道というのは、原初的なアニミズムを洗練させたものとみることができる。人類の原初的な直観はかなりすごいものだが、それだけでは「文化」として洗練されにくい。ところが日本人は、それをやってしまった稀有な民族である。
神の依り代を作るにはどうすればいいか。神が依ってくるためには、空っぽでなければならない。その「空っぽ」を文化として昇華させたのが、「侘びさび」と言えるかも知れない。
日本という国は、プリミティブでフォークロアリスティックなコンセプトが、かなりセレブなレベルにまで昇華されているという点で、ちょっと特殊な文化をもっている。ヨーロッパの国々の美術館巡りをして、日本との差に驚くのは、ただただこのことに依るのではないかと思う。
日本人が意識的にインターナショナルであるためには、このことをきちんと知って、自分なりに咀嚼しておく方がいい。そうでないと、単に薄っぺらなコスモポリタンもどきになってしまう。
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コメント
ようやく読み終えました。(^^;
いやぁ、びっくりするくらい面白いですね。
特に前半部分、実に面白いです。
空間の捉え方が変化しそう。
4ページ目あたりから無印良品の話になっちゃいますが、
MUJIに関しても、このように説明されると
なるほどそういうことかと思います。
あまり無印良品は好きじゃなかったんですが、
今後は違う角度で見ることができるかもですね。
投稿: ぺれ | 2010年3月 3日 20:12
ぺれ さん:
>いやぁ、びっくりするくらい面白いですね。
>特に前半部分、実に面白いです。
でしょ。
ものづくりのバックグラウンドには、このくらいの哲学があらまほしきものと思います。
投稿: tak | 2010年3月 4日 12:41