『唯一郎句集』 レビュー #111
『唯一郎句集』もそろそろ残りページが少なくなってきた。今数えてみたら、どうやら今回を入れて 12回のレビューで終わりそうである。ということは、4月中旬だ。それを思うと、それ以後の週末は、一体何を書いたらいいのだろうと呆然とした。しかし、考えてみれば、普通のウィークデイと同様に書き続ければいいだけの話なので、ちょっとホッとした。
とりあえず、レビューである。今回の 4句は、ちょっと不思議な感覚だ。新感覚派と通じる唯一郎独特の感性だと思う。
花嫁の馬車の行き刈田ありありかげり
昔は花嫁行列というものがあった。仲人が「嫁だぁ、嫁だぁ」と触れながら、町内を行きすぎたものである。
この句に出てくるのは馬車で行っているというのだから、離れた村まで嫁入り道具とともに移動しているのだろう。沿道には近在の人たちが佇んで見送る。
花嫁の馬車が行きすぎると、残された刈田の風景はありありと陰ってくる。日が雲に隠れたばかりでなく、花嫁行列の華やかな雰囲気がすぅっと離れていったためでもあるだろう。
しきりに落葉する南瓜を切り包丁をもち
晩秋。庭を眺めていると常に落葉がひらひらと舞っている。よくまあこんなにたくさんの葉があるものだと思うほどだ。
その葉を窓の外に眺めながら、カボチャを切る。固いカボチャを切るには、相当な力が必要だから、妻に頼まれたのかもしれない。
普通なら 「包丁をもち南瓜を切る」 というところだが、この句では順序が逆だ。多分慣れない包丁仕事なので、「この固い南瓜を切るには、包丁をしっかりと握り……」 と心の中で確認しているのかもしれない。そのぎこちない感覚が感じ取れる。
山脈を風わたる夜皿小鉢重ねてゐるよ
秋が深まると、東北の山には冷たい風が渡るようになる。その風の音を聞きながら、台所で夕食に使った皿や小鉢を重ねてしまう。
当時の台所は大抵薄暗い。その薄暗い中で、手元の小さな食器と雄大な山脈を渡る風の音が出会う。
不空絹索おろかしや落葉二三枚
「不空絹索」は、不空絹索観音のことだろう。普通「ふくうけんさく」と読まれることが多いが、正しくは「ふくうけんじゃく」のようだ。
「絹索」 とは鳥獣を捕らえる絹目の網で、「不空」とは「もらすことがない」という意味。つまり、大悲の心でもらさず衆生をすくい取る観音様ということだ。酒田周辺で不空絹索観音像があるのがどこの寺か、知らない。多分真言宗の寺だと思うが。
不空絹索の次にいきなり「おろかしや」と続くのはかなりインパクトがある。熱心な浄土真宗信徒である唯一郎には、不空絹索観音の前に佇む自分がおろかしい衆生の一人に過ぎないと感じられたのかもしれない。
観音像の足許に落葉が二三枚、張り付いたように動かない。
本日はこれまで。
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コメント
本日ご紹介いただいた「刈田ありありかげり」は音感が明るく「かげり」という〆の語感とはうらはらに満足感が残りました。
「不空絹索」はうってかわって、落葉に見入る一瞬、そのときの詠み人の気持ちを慮ると、深い文言であるなあと心に沁みいりました。
ありがとうございました。
投稿: jersey | 2010年3月14日 01:03
jersey さん:
>本日ご紹介いただいた「刈田ありありかげり」は音感が明るく「かげり」という〆の語感とはうらはらに満足感が残りました。
その裏に、娘がよその村に嫁いでいってしまったことのちょっとした淋しさというのが、「かげり」 に込められているかなとも。
>「不空絹索」はうってかわって、落葉に見入る一瞬、そのときの詠み人の気持ちを慮ると、深い文言であるなあと心に沁みいりました。
これは、ちょっと手強い句ですよね。
投稿: tak | 2010年3月14日 11:08