« 自動で 「ついで買い」 促す券売機 | トップページ | 『唯一郎句集』 レビュー #113 »

2010年3月19日

病気は 「実在しない」 んだって

岩田健太郎というお医者さん (神戸大学医学研究科教授) の書かれた 『感染症は実在しない ― 構造構成的感染症学』(北大路書房・刊) という本を読んだ。きっかけは、2月 21日の TBS ラジオ「サイエンスサイトーク」に岩田氏が出演され、「病気とは、現象に恣意的に名前を付けたものであって、実在ではない」とおっしゃるのを聞いたことである。

「医者のくせに、ずいぶんおもしろいことを言う人だなあ」と思い、さっそく Amazon で注文して、届いてから 2~3日で読み終えた。大変興味深く、また読みやすい本だった。そして、そのうちこのブログで触れてみたいと思ったまま、年度末の綱渡り的大忙しに突入して、3週間ぐらい放ったらかしになってしまっていた。

で、一山越えた今、ようやくこの本を読んで感じたことについて書こうとしている。とにかく、岩田氏がこの本で力説しておられるのは、徹頭徹尾、「感染症だけではなく、ほとんどすべての病気(うつ病とかに至るまで)は、モノとして実在するのではなく、恣意的に病名を付けられた現象にすぎない」ということのようなのだ。

なるほど、「医者の仕事の 8割は病名を特定すること」と聞いたことがあるが、それを裏から言うとそういうことになるのだろうな。

それで思い出したことがある。25~6年前ぐらいのある日、私は朝から少し腹痛がしていたが、大したことはないだろうと思って家を出た。しかし常磐線快速電車の中でその痛みがどんどんひどくなり、ついにうずくまって悶絶してしまった。前に座っていた人が見かねて席を譲ってくれたほどである。

這々の体で会社に着き、そのまま近くの内科医に行った。「腹が痛くてどうしようもないから、何とかしてください」と息も絶え絶えに言うと、「それは、おそらく尿管結石でしょう」という。腎臓と膀胱をつなぐ尿管に、石が詰まっているのだという。

それで、何とかいう超音波(?)機器を使って、体の中をモニター画面に映してして見るのだが、医者はしきりに「おかしいなあ」とつぶやく。

「その痛みは、典型的な尿管結石の症状なんですが、どう探しても石らしきものが見つからないんです」

こちらとしては、「そんな石なんか見つからなくてもいいから、とにかくこの痛みをなんとかしてください」と訴えるのだが、医者は「いや、痛みの原因が見つからない以上、病名が特定できないから、治療もしようがない」という。私はその時、何という冷たい藪医者だろうと思ったね。とりあえず鎮痛剤ぐらいくれたっていいじゃないか。

しかたなくその日は、そのまま帰宅することにし、たまたま途中にあった漢方薬局によってみると、「モニターに映らないくらいの小さな石かもしれないですから、取り敢えずこれをお飲みなさい」と、何とかいう名前の、小便のたくさん出る効果のあるお茶の葉を出してくれた。

家に帰って、そのお茶を煎じてがぶ飲みしているうちに、本当に小便がどんどん出て、なんだか知らないが、その日のうちに痛みはすっかり収まり、翌日はピンピンして仕事ができた。あれから全然再発していない。

この時の経験から私は、「病気なんて、えらく曖昧なものなんだなあ」と思うようになった。医者にとっては、病名さえ特定できてしまえばそれは「治療すべき病気」であり、特定できなければ、それはもう「病気じゃない」から「治療するに及ばない」もののようなのである。受診者があんなに痛がっていても。

逆に、当人が元気でピンピンしていても、何らかの検査の結果が出て、医者が病名を付けてしまえば、その人は「病人」なのである。そのことについては、岩田氏の本にとても詳しくわかりやすく書いてある。病気というのは、医者が病名を特定した瞬間に「病気」になるのだ。特定されないうちは、「病気じゃない」のである。

そして、「病気」ということになって、治療する段になっても、薬が効くかどうかなんていうのは、実はちょっとした違いなのだそうだ。あの「劇的に効く」といわれるタミフルにしたところで、実際のところはほとんどの場合、「安静にして寝ていれば 5日で治るインフルエンザを、4日で治せる」という程度のものなんだそうだ。

ちなみに、全世界のタミフルの 7割は、日本で消費されるというのである。日本の医者はインフルエンザを「実在するモノ」のように扱い、それを消すためにほぼ自動的にタミフルを処方するから、そんなことになるというのだ。知らなかったなあ。

この本は、「構造構成主義」という方法論によって病気を論じている。これは各人の主義主張、見方によって、異なって捉えられがちの「理論体系」とか「構造」とかいう面倒くさいものはちょっと脇においといて、まあまあ客観的に見えなくもない「現象」の方を重視していきましょうという思想のようなのだ。

感染症が「実在しない」とはいえ、「現象」としては現れないこともないみたいだから、まあ、時にはお医者さんも必要になるみたいなのである。でも、あんまりこだわることもないみたいなのだ。「病は気から」というから。

 

|

« 自動で 「ついで買い」 促す券売機 | トップページ | 『唯一郎句集』 レビュー #113 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

ご無沙汰でした。

今をときめく『花粉症』も、昔は『春風邪』と言っていたような記憶があります。


『心的外傷後ストレス障害』も、『性同一性障害』も、初めて聞いたときには「あ、そういう病気にした訳ね。」というのが率直な感想でした。

病名ができたことで、救われた方もいらっしゃるので、良かったなぁ…。


うん。

投稿: 乙痴庵 | 2010年3月19日 17:27

乙痴庵 さん:

>病名ができたことで、救われた方もいらっしゃるので、良かったなぁ…。

岩田先生も、TBS ラジオに出演されたとき、臨床的には、「どうしても病気ということにしてもらいたがる患者さんには、病名を付けてあげる」 とおっしゃってました。

世の中には、何か病気になってないと安心できない人もいますし。

落語のマクラじゃないけど、病院の待合室で
「○○さん、最近見えませんね」
「えぇ、あの人、最近具合が悪いらしくて……」
なんていうことも実際にあるお話です。

投稿: tak | 2010年3月19日 22:26

一昨年、私もまさに同様の症状でうずくまりました。
ただし、会社の同僚に全く同じ症状の人がおりましたので、病院へ行くなり「たぶん尿管結石やと思うんですが」というと「調べなわからん」と言われて島津の機械なんかで調べた結果、そうでした。

で、自分は石は見えなかったですが、尿管は明らかに断面積を増大していましたので「ここを通過したな」という認識は実感しました。

尿道の断面積確認は患者さんのひとつの目安になると思いました。

貴兄、お大事に

投稿: jersey | 2010年3月20日 00:52

jersey さん:

>一昨年、私もまさに同様の症状でうずくまりました。

痛かったでしょう。
大変でしたね。

私は遠い昔の話で、痛みの実感は薄れてますが。

>貴兄、お大事に

ありがとうございます。

私の場合は、尿管結石かどうかは全然わからなかったし、あれから全然再発してないので、どういうことだったのか、今でもわかりません。

病名が特定されなかったので、病気じゃなかったんでしょう。
単なる 「痛みと言う症状」 があっただけで (^o^)

jersey さんこそ、病名が特定されたのなら、再発しないように気を付けてくださいね。

投稿: tak | 2010年3月20日 07:35

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 病気は 「実在しない」 んだって:

« 自動で 「ついで買い」 促す券売機 | トップページ | 『唯一郎句集』 レビュー #113 »