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2010年3月14日

『唯一郎句集』 レビュー #112

昨日に晩秋の 3句をレビューしたと思ったら、今日はもう初夏である。もっとも初夏の句とはっきりわかるのは前の 2句で、今日の 3句めは、ページが変わって、1ページに 1句だけがどぉんと掲載されていて、季節はわからない。なんとなく夏っぽい気はするが。

とりあえず、レビューである。

おもだかの浅い水をかへそこまで出歩く

「おもだか」は沼地や田んぼに生える野草で、三角に伸びた葉と白い花が特徴。私は「おもだか」と聞くと、市川猿之助の屋号 「沢瀉屋」(おもだかや)を思い出すが、ここでは関係ない。

「おもだかの浅い水をかへ」とあるが、水盤かなにかに活けてあったのだろうか。その辺はよくわからない。あるいは、庭の池の端で育てていたのかもしれない。

とにかく、おもだかの水を替えたら、ちょっとそこまで散歩したくなったということのようだ。とてもさりげない作品。

青梅を落とし朝の草の青きの中の父子

唯一郎が梅の木になった実を、朝露のまだ乾かない草の上に落とす。それを子どもたちが見ている。

ぽとりぽとりと落ちた実は、青くて堅そうなので、子どもたちは手を出すこともない。ただだまって見ている。

絵本の中のような光景。

晝寢ざめのかなしきは歩み行く馬の摩羅かな

この句は前述の如く 1ページに 1句のみという形で所蔵されている。ということは、当時話題になった作品なのだろう。

昼寝から覚めたばかりの悲しさは、「歩み行く馬の摩羅」だというのである(念のため添えておくが、「摩羅」 とは男性器のこと)。

昔は馬車と牛車が主たる陸上交通機関だったから、酒田の街も馬車が頻繁に行き来していた。かといって、昼寝から覚めたら目の前に馬の男性器が迫っていたというわけでもないのだろうが、その所在なさがわかるような気がする。

本日はこれにて。

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