心の琴線に触れる 「お兄ちゃんのえっち」 という言葉
このブログのアクセス数というのは、右のサイドバーの上の方にあるカウンターに表示されていて、普段の平日は、大体 1,000をちょっと超えるぐらいのアクセスになっている。ところが、今日はお昼前に 900を超えているので、一体何があったのかとたじろいでしまった。
アクセス解析をみると、圧倒的なヒットになっているのが昨日の "「お兄ちゃんのえっち…」の「の」の文法的解釈" という記事である。で、どこから飛んできたのかというと、「はてなブックマークの 「人気エントリー ‐ コンピュータ、IT」 というページからのリンクが多い。もう時間が経って消えているが、夜中頃ここに件の記事が取り上げられたようなのだ。
これが発端となって、はてなの個人ブックマークからのリンクもやたらと多くなっている。「人気エントリー」からのアクセスはもう収まっただろうが、個人ブックマークからのリンクで飛んでくるアクセスは、もうしばらく続きそうだ。
それにしても「お兄ちゃんのえっち…」という文言は、はてなユーザーの心の琴線にえらく響いてしまったようなのである。
この記事は、xl1blue さんが Twitter で "「お兄ちゃんのえっち…」の「の」は文法的にはどんな説明が与えられますか" と tweet されたのを受けて、私が物好きにも考察してみたのである。内容的には至極マジメなもので、お兄ちゃんのえっちさ加減がどんなようなもので、あんなことやこんなことまでしてるなんてことにはちっとも触れていない。
つまり、"「お兄ちゃんのえっち…」の「の」の文法的解釈" というタイトルそのものの内容でしかない。あくまで「文法論議」なのである。
しかし、この記事のタイトルが "「お母さんの馬鹿」の「の」の文法的解釈" とか "「夕日の馬鹿野郎」の「の」の文法的解釈" とかだったら、午前中に 900を超すぐらいのアクセスを集められたかどうかといえば、はなはだ疑問である。おそらくそんなには行かなかっただろう。せいぜい 500止まりだったんじゃなかろうか。
こうしてみると、xl1blue さんの tweet は、なかなか絶妙のものだったということがわかる。そもそも私が物好きにもこれに関して考察してみようと思ったのも、「お兄ちゃんのえっち…」だったからであって、「お母さんの馬鹿」だったら、もしかしたら放っといたかもしれないではないか。
| 固定リンク
「世間話」カテゴリの記事
- 「余計なお世話」とか「余計な表示」とか(2023.09.27)
- タバコは目の前で吸われるのでなくても迷惑(2023.09.17)
- すき家 駐車場の貼り紙騒動(2023.09.09)
- 崎陽軒の CM ソング、ずっと誤解してた(2023.09.03)
- 道路の「ゼブラゾーン」を巡る冒険(2023.09.01)
コメント
「お兄ちゃんのどすけべ…」だったら、もっと放っておかれたかもしれない…。
投稿: 乙痴庵 | 2010年3月31日 20:33
乙痴庵
>「お兄ちゃんのどすけべ…」だったら、もっと放っておかれたかもしれない…。
あはは (^o^)
自分の妹がそんなことを言ったら、こっちがこけますね。
投稿: tak | 2010年4月 1日 10:42