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2010年3月22日

不調を訴える人は病気であるのか、ないのか

先週の金曜日の "病気は「実在しない」んだって" という記事に、乙痴庵さんから次のようなコメントがついた。

『心的外傷後ストレス障害』も、『性同一性障害』も、初めて聞いたときには「あ、そういう病気にした訳ね。」というのが率直な感想でした。

病名ができたことで、救われた方もいらっしゃるので、良かったなぁ…。

このコメントに私ははっきりとした態度を示さず、乙痴庵さんにはちょっと失礼をしてしまったかもしれないが、のらりくらりと次のようなレスを付けている。

岩田先生も、TBS ラジオに出演されたとき、臨床的には、「どうしても病気ということにしてもらいたがる患者さんには、病名を付けてあげる」とおっしゃってました。

こんなどうとでもとれる他人のふんどし的レスをしたのは、にわかには結論を出せなかったからである。病名ができたことで救われる人もいるのだろうが、それによって明確に病人にされてしまって、逆に救いのなくなってしまう人もいるのではないかと思ったのだ。

例えば「性同一性障害」という病名を付けられた人は、それまでは「男だか女だかわからない変なやつ」と思われていたのが、「そうか、病気だったのか、それじゃ仕方ないな」という評価に切り替わって、少しはストレスがなくなるかもしれない。いわば、オフィシャルに認められた言い訳ができたわけだから。

しかし、もしかしたら当人としては「病気なんかじゃない。ただ、人とちょっと違った感覚があるだけ」と思っているかもしれないのである。それを十把一絡げに病気という扱いにされることは、かなり心外かもしれないではないか。

だって、当人にとっては自分の戸籍上の性別に違和感があるだけで、それ以外には別に「病気」といわれるほどの不具合がないのだもの。周囲が、「ちょっと変わってるだけだよね」と認めて、さりげなく普通に接してくれさえすれば、別段何の支障もなく暮らしていける。

病名を付けられることで救われる人もいれば、逆にかえって救いから遠ざかる人もいると、私は思うのだ。

乙痴庵さんのコメントのレスに、私はこんな小咄のレスを付けた。

病院の待合室で
「○○さん、最近見えませんね」
「えぇ、あの人、最近具合が悪いらしくて……」

私の祖母(血のつながっていない戸籍上の祖母)は、この小咄を地でいった人だった。何しろ、毎日医者に通うのである。自分は毎日医者に行かないと死んでしまうと信じていた。普段は弱々しい振舞なのに、医者に行くときだけはなぜかしゃんとしてしまうのである。毎日のようにほぼ 2km の道を元気に歩いて医者に通える病人がいるはずないのだが。

子どもの頃、私がたまたまどこか具合が悪かったりすると、祖母は 「一緒に医者に行こう」 と言う。こちらとしては医者にかかるほどのことでもないと思っていても、強引に連れて行かれる。

医者に行って診察室に呼ばれると、祖母は私に付き添って入って来て、私のことなどほっといて「今日も具合が悪くて悪くて……」と自分の都合を訴える。

「いつも言ってるけど、あんた、どこも悪いとこなんてないよ」と医者は言う。
「いや、そんなはずはない。苦しくて苦しくてたまらないから、注射を打ってもらうまでは帰らない」と祖母は強弁する。
「仕方ないなあ」と医者は言って、何とかいうカタカナ名前の薬を注射するように看護婦に命じる。

後で医者に聞いたところでは、どうでもいい栄養剤かなんかを打っていたようだ。祖母はそのどうでもいい栄養剤のお陰で自分の命は長らえているのだと信じて、毎日医者に通っていたのである。

いつも具合が悪いと思っている祖母だが、時には、いつも以上に体調がおかしいと思いこむ時がある。そういう時は、医者から帰ってきてすぐに、「どうやら風邪を引いたみたいだ」 と言って寝込む。医者に行くまでは寝込むわけに行かないから。決まって帰ってきた後だ。

布団の中で熱を計ると、あに図らんや、36度ぐらいしかない。普通の人ならここで安心するケースだが、祖母の場合は逆である。がっかりするのだ。自分は風邪を引いて高熱にうなされていなければならないのに、平熱では収まりがつかないのだ。

そこで、祖母は言う。「この体温計は壊れているから、隣に行って、壊れてないのを借りてきておくれ」

ここまでくると、さすがに家人はみな呆れてしまって、その頼みを聞く者は誰もいなかったが、ことほど左様に、人間の中には、自分が何かの病気でないと気が済まない人というのがいるのである。下手に健康では、不安でしょうがないのだ。

病院を訪れる人の中には、もっともらしい病名をつけてもらわないと納得しない人がいる。「ちょっと疲れが溜まっているだけだから、早めに寝れば明日には元気になってますよ」では、「そんなはずはない。何かの病気に違いない」 ということになるのである。

だから、岩田先生はそんなことでは争わず、病名を付けて病気扱いしてくれることを望む人には適当な病名をつけて、安心させてあげるというのである。逆に、「単に疲れがたまってるだけ」 と告げる方が安心するタイプの人 (圧倒的にこちらの方が多いんだろうが) には、別に悪いところはないと言ってあげるのだそうだ。

病気って、その程度のもののようなのだ。ガンだのなんだのといっても、どうせ死亡率 100%の人間という存在が、さっさと死んだり一時的に助かったりする要因になるというぐらいの「ちょっとした不具合」に過ぎないと思えば、人間のストレスも小さい。

 

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コメント

展開ご意見、痛み入ります。
 基本的に、takさんと同じスタンスです。
 助かった人も、そうでない人もいると思います。

 正直に申し上げますと、何でもかんでも(では言い過ぎかぁ…)病気にしちゃっている現状を鑑み、何でも病気のせいにして自律と自立を回避してしまう傾向があるんじゃないかと、ヘソマガリなことを考えてしまいます。

 「病は気から。」という言葉自体、『気合が足りないから病気を呼ぶ』という立ち位置から、『当てはまる症状があるから病気になる』という自分の病探し重視に変化してきているような気がして…。

 そういえば最近、食欲なくて、寝付けなくて、人と会うのがメンドクサイんですが…。
 気合が足らん!といわれるのか、オマエは欝だといわれるのか…。
 どっちもいやだなぁ。

投稿: 乙痴庵 | 2010年3月23日 14:02

乙痴庵 さん:

>基本的に、takさんと同じスタンスです。
>助かった人も、そうでない人もいると思います。


「あ、そういう病気にした訳ね」というのが、かなり皮肉っぽいですもんね ^^;)

>「病は気から。」という言葉自体、『気合が足りないから病気を呼ぶ』という立ち位置から、『当てはまる症状があるから病気になる』という自分の病探し重視に変化してきているような気がして…。

なるほど、言えてるかも。

投稿: tak | 2010年3月23日 16:54

最近メディアでも有名になってきた、精神科医のゆうきゆう先生によると、医療が必要な時とは「本人がその症状で困っていて日常生活に支障がある時」なんだそうです。

たぶん病名をつけるのは、医療でカテゴリー分けしやすいからじゃないかなと思いました。
ある程度カテゴリ分けして症例がまとまると、患者さんへの対応がしやすいですし、理解もしやすい。
うつ病みたいに、その言葉だけが一人歩きして偏見の強いものもありますけど・・。

余談ですがお祖母様のように「何かしら病気になりたい人」というのはその行動には理由があると思います。
例えば、病気になっていると優しくしてもらえるとか。

投稿: シロ | 2010年3月24日 19:32

書き漏れがありました・・
医療が必要になる時。
本人ないしその周囲の人が日常に支障をきたしている時、です。

逆に医療が必要でない時。
当人が他の人と違う不具合があっても、本人ないし周りの人が生活する上で困ってない・支障がなければ医者にかかる必要ないってことになります。

ガンになっても特に困ってなければ医者にかからなくてもいいんじゃないか、というのが私の考えです。
無理に治す必要もないんじゃないかと。

投稿: シロ | 2010年3月24日 19:38

シロ さん:

>医療が必要な時とは「本人がその症状で困っていて日常生活に支障がある時」なんだそうです。
>本人ないしその周囲の人が日常に支障をきたしている時、です。

まさにその通りでしょうね。
別に支障がなければ、治療の必要もない。

ただ、何をもって 「支障」 とみるかというのも問題でしょうけど。

>余談ですがお祖母様のように「何かしら病気になりたい人」というのはその行動には理由があると思います。
>例えば、病気になっていると優しくしてもらえるとか。

「病気にかかっている」 というのは、いろいろな面で都合がいいんですよ。

無理しなくてもいいし、頑張らなくてもいいし、自分と周囲にいろんな言い訳ができるし。

病気が生き甲斐にもなるし (^o^)

投稿: tak | 2010年3月24日 22:59

>病気が生き甲斐にもなるし (^o^)

一本!

投稿: 乙痴庵 | 2010年3月25日 18:35

乙痴庵 さん:

>>病気が生き甲斐にもなるし (^o^)

>一本!

必殺技かも ^^;)

投稿: tak | 2010年3月25日 23:27

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