「お兄ちゃんのえっち…」 の 「の」 の文法的解釈
xl1blue さんが Twitter で "「お兄ちゃんのえっち… 」の「の」は文法的にはどんな説明が与えられますか" と tweet しておられる (参照)。ふぅむ、言われてみればちょっと難しい。「えっち」がお兄ちゃんの所有物というわけでもないから、所有を表す助詞というわけではない。
同じことは、「お母さんのばかぁ!」「夕日の馬鹿野郎ぉ~! 」などにも言える。こんなのは、その辺の自動翻訳サービスにかけたら、"mother's fool!" "Foolish guy of sunset!" なんて結果になりかねない。日本語ってなかなか難しい。
とりあえず、辞書を引いてみる。Goo辞書というのは、背後で三省堂の『大辞林』が動いているから、無料サービスだからといって馬鹿にしたもんじゃない。この辞書で調べると(いや、別に辞書で調べなくても)、格助詞の「の」であることは明白だ。
そして格助詞の「の」にも、2種類あって、一つは、次のように説明される「の」だ。
(格助)
〔格助詞 「を」 が、撥音 「ん」 の後に来て、連声によって 「の」 の形をとったもの。中世後期から近世へかけての語〕 格助詞「を」に同じ。
「一すぢながながととほりて剣—とぎたてたが如くにてあるそ/中華若木詩抄」
なにやら小難しい説明だが、要するに「ん」の後に「を」が来ると、リエゾンして「の」になることがあるというのである。「因縁 (「いん」+「えん」)」が「いんねん になったようなものだ。
しかし、「お兄ちゃんのえっち…」も、「お兄ちゃん」という「ん」で終わる言葉の後についてはいるものの、「お兄ちゃんをえっち…」と言い換えると意味が通じなくなってしまうから、これじゃないだろう。「夕日の馬鹿野郎ぉ~!」のケースで「の」の直前が 「ん」 じゃないことからも、それは明白である。
で、もう一つの「の」だが、これがなかなかやっかいで、使い方がいろいろあるのである。ここには紹介しきれないので、こちら で直接ご覧いただきたい。
ここに挙げられた中で一番もっともらしいのは、この格助詞の「の」の本来の使い方とされる「連体修飾語を作る」という機能だ。その中のさらにもっともらしく共通するのは、「同格の関係を表す」 という用法だ。以下の用例がある。
(a) 「政治家の山下氏」 「よろしくとのおことば」
(b) 「ビールの冷やしたの」 「ある荒夷 (えびす) の、恐しげなるが/徒然 142」
上記の中でも、とくに (b) で挙げられた用例と 「お兄ちゃんのえっち…」は 、かなり近い。「ビール」と「冷やした状態」 、「ある荒夷」と「恐しげな風貌」とが、「同格の関係」にあるというのと、「お兄ちゃん」と「えっち」が、同格だというのは、共通する用例であると考えられる。
つまり、「お兄ちゃんのえっち…」というのは、「お兄ちゃんであって、そしてなおかつ "えっち" でもある」ということなのだ。「えっち」と書かれた見えないラベルを、お兄ちゃんの顔にぺたりと貼り付ける行為のメタファーである。
そして「夕日の馬鹿野郎ぉ~!」は、「夕日であって、なおかつ馬鹿野郎」なのである。かなり勝手な言いぐさではあるが。
【どうでもいい補足】
試しに 「お母さんのばか」 「夕日の馬鹿野郎」 を Excite の無料翻訳サービスにかけたら、"Mother's fool" (これは思った通りのベタ訳) と、"Idiot in evening sun" という結果になった。後者はちょっと意外で、"Fool on the Hill" のイメージを想起してしまったが、あるいは 「夕日のガンマン」 (古いかな?) に引っ張られた翻訳かもしれない。
【31日 追記】
「お兄ちゃんのえっち」 は、英語で面と向かって言う場合は、"You, pervert, Brother!" になると思う。これだと、「同格の関係」だというのがすごくよくわかる。
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コメント
いつも面白ネタを見つけて来られますね。私はこの例文は次ぎのような意味が略されたものと考えます。
It is that my brother is a Hentai.
つまり、「お兄ちゃんのエッチ」の「の」は、単純所持ではなくて、運用や濫用をしている状態を指すと思いますね。
投稿: pfaelzerwein | 2010年3月30日 17:34
pfaelzerwein さん:
>つまり、「お兄ちゃんのエッチ」の「の」は、単純所持ではなくて、運用や濫用をしている状態を指すと思いますね。
単純所持でないことは、本文で触れた通りですが、「運用や濫用をしている状態」というのは、ヒットですね (^o^)
投稿: tak | 2010年3月30日 23:28
この「お兄ちゃん」と言う存在は、本当の兄妹間において、妹が兄に対して言っているのでは無い様な気がしますが・・・(笑)
投稿: alex99 | 2010年3月31日 17:19
お兄ちゃんのえっち…
お母さんのばかぁ!
夕日の馬鹿野郎ぉ~!
旦那はんのいけず!
先生のイジワル!
神様のうそつき!
姉ちゃんのケチ!
これらが「ビールの冷やしたの」と同じ用法とは思えません。
夕日のガンマン、イワンの馬鹿、これらとも違うように思われます。
非難、時に甘え拗ねる相手につく係助詞、なんてダメか!
いろいろ考えましたが、よくわかりません。
p.s.
お兄ちゃんのえっち…
実に意味深な”…”です。
えっち!とは別の味わい。
投稿: McC | 2010年4月 1日 00:39
alex さん:
>この「お兄ちゃん」と言う存在は、本当の兄妹間において、妹が兄に対して言っているのでは無い様な気がしますが・・・(笑)
えぇと、それは文法論議から外れますので、なんとも……。
ただ、はてな界隈での萌え感から言えば、本当の兄妹である方がいいかもしれませんよ ^^;)
投稿: tak | 2010年4月 1日 10:26
McC さん:
(前略)
>これらが「ビールの冷やしたの」と同じ用法とは思えません。
うぅむ、意味とかニュアンスを考えると、「ビールの冷やしたの」 とはかけ離れますが、あくまで文法論で考えれば、「同格の関係」 と解釈できると思います。
>夕日のガンマン、イワンの馬鹿、これらとも違うように思われます。
「夕日のガンマン」 とは明らかに違いますね。
「イワンの馬鹿」 とは同じかと思います。
あとは、文脈とニュアンスの違いですね。
>お兄ちゃんのえっち…
>実に意味深な”…”です。
>えっち!とは別の味わい。
それは確実に言えますね。
はてな界隈の萌え感の源かもしれません。
ただそれは、純粋な文法論からちょっと離れたところの問題だと思います。
投稿: tak | 2010年4月 1日 10:40
はじめまして。ご参照いただければ幸いです。
http://d.hatena.ne.jp/killhiguchi/20100129#p1
投稿: killhiguchi | 2010年4月 1日 19:59
killhiguchi さん:
おぉ、かなり重要なご教示、ありがとうございます。
これは根本から考え直さなければいけないかもしれませんね。
投稿: tak | 2010年4月 1日 23:07
「ビールの冷やしたの」
その辞書は日本語文法の解説書ではありませんよね。
文型が載ってるものを見たほうが良いですよ。
「対象格」だと思います。「を」に言い換えられますから。
同格はまた別です。
投稿: 初心者 | 2020年3月29日 22:43
初心者 さん:
うぅむ、確かにそれも妥当な見方ですね。
ただ、かなりビミョーなところがあって、「ビールを冷やしたの」というと、ビールからちょっと別のものに変化していてもよさそうな気もします。
「木を燃やしたの」というと「灰」になっちゃってたりして。
「ビールであって、さらにそれを冷やしたもの」という感覚が、「ビールの冷やしたの」というレトリックのニュアンスでもあるような・・・。
もうここまで来ると、言うに言いがたいので、ここから先に進むのが億劫になってしまいます ^^;)
投稿: tak | 2020年3月29日 23:01