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2010年4月 3日

『唯一郎句集』 レビュー #117

このページに載せられた 4句は、季節的には春から夏にかけてのもので、作風も共通しているので、同じ年に作られたものだろう。とくに意表をつくところもなく、淡々としたイメージの句である。

さっそくレビューである。

この旅のおはりかかはたるる山櫻水の音

「かはたるる」は「彼は誰時(かはたれどき)」の「彼は誰」を動詞化した言い方だろう。芥川龍之介にも 「かはたるる靴の白さやほととぎす」という句がある。「黄昏れる」という動詞が認知されているのだから、「かはたるる」だって当然あっていい。ただ我々が聞き慣れていないだけだ。

「彼は誰時」は、近世では「黄昏(誰そ彼)」の反対で、明け方の薄暗い時を指すということになっているが、本来は明け方でも夕方でもどちらもそう言ったらしい。

そうすると、この句はどちらかといえば夕闇の迫る頃という方がイメージに合うような気がする。旅の終わりの山里で、夕闇に溶けていく山桜を眺めながら、谷川の音を聞いている唯一郎。

ことし蚊帳をつり青萱の匂ひして子らと眠り

その夏初めて萱を吊って寝た夜のことだろう。まだ真夏にはなっていない頃、子供らと横になると、汗もかかず、すがすがしい青畳の匂いがする。

唯一郎の家庭人としての側面が表現されている。

姉妹おのおのの職業をもちマーガレット咲き

ここに登場する 「姉妹」 がどこの姉妹かはわからないが、この当時、姉妹が揃ってそれぞれ職業を持つというのは、なかなかハイカラなことだったのだろう。

そのハイカラさは 「マーガレット」 というカナカナ名前の花が咲いているとしたことで、さらに強調されている。

つばくらよ我家軒深く声かける

ツバメが軒深くまで入り込んで巣を作っている。卵がかえれば雛が口を開けて餌を待ち、親鳥は忙しく行き来する。

ツバメは 「まれびと」 のようなもので、異邦から来たるものではあるが、歓迎される。思えば不思議な存在である。

本日はこれにて。

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