『唯一郎句集』 レビュー #119
さて、句集はあと 2ページである。さくさくとレビューしてみよう。今日のページは、「小砂川海濱にて三句」とある。小砂川(こさがわ)というのは、庄内浜をずっと北に行き、庄内砂丘のはずれ、つまり鳥海山の西の裾野が日本海に没するあたりで秋田県との県境を越えたところにある海辺の町である。
これといって何もないところだが、私は中学校時代、この小砂川の浜辺までテントを積んで自転車で出かけ、キャンプをしたことがある。
小砂川海濱にて三句
山裾海に入りて岩となる秋の浪かおり
「山裾海に入りて岩となる」というのは、この辺りの光景を知る人なら 「うん、まさにその通り」 と言いたくなるような表現だ。とはいえ、唯一郎の言葉としてはあまりによくある絵葉書的な気もする。
しかし「秋の浪かおり」で、唯一郎らしさが取り戻されている。視覚から嗅覚への急転換。「なるほど、そうした仕掛けだったか」 と思わせる。
秋なずむ潮騒よ岩鼻の道曲り
真夏の日本海というのは、南からの夏風が日本列島で食い止められるので、浪も穏やかでとても静かな海である。日の当たる縁側に置かれた巨大な洗面器のようなもので、冬の姿とは大違いだ。
ところが季節が進んで、秋になれば少しは高い波も打ち寄せるようになる。「秋なずむ潮騒よ」というのはそんな感覚だ。
「岩鼻の道曲り」というのも、まさに言い得て妙の表現。海を見下ろす断崖の道が急カーブして、突き出た岩の影に隠れている。「あぁ、あの辺りの景色だな」 と、目に浮かんでくる。ピクチャレスクな句だ。
山萱をつかねてゐる家をもち借金をもち
「つかねる」は「束ねる」と書き、「たばねる」とほとんど同じ意味。茅葺きの屋根の家という意味だろう。そうした家をもち、借金をもっているというのは、一体誰のことなのだろう。
借金はあれども、呑気。呑気なれども、借金がある。しかし結局最後のところでは呑気な光景。
本日はこれまで。明日はいよいよ、句集の最後のページである。
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