「春眠暁を覚えず」といって、これは「春は眠い季節」ということを表すものと思われているが、本来の意味はちょっと違っていたもののようだ。ちなみにこの言葉の出てくる孟浩然の『春眠』という漢詩は次のようなものである。
春眠不覺暁 【春眠 暁を覚えず】
處處聞啼鳥 【処処(しょしょ)啼鳥(ていちょう)を聞く】
夜来風雨聲 【夜来(やらい)風雨の声】
花落知多少 【花落つること知るや多少(いくばく) 】
夜が明けたことも知らずに眠っていた。気が付けば鳥が鳴いている。夕べは風雨が強かったので、花は散ってしまったかも知れない ―― というような意味合いだろう。今のフツーの感覚からすると、「春って季節は眠いから、ついつい寝坊してしまうよ」ということと思われがちだが、次のような異論がある。
【理系視点からの異論】
「ズブズブに理系でいこう!」というユニークなブログの東大井真知男さんは、次のように書いておられる(参照)。
仮に毎朝同じ時刻、6時に起きるものとしよう。その場合、冬の間は、起きた時にはまだ夜明け前だ。ところが、だんだんと春になってくると、起きた時にはもう夜が明けている。
この句はそういう意味だ。つまり、「春になって日の出時刻が早くなった」という意味だ。決して、春はついつい朝寝坊しがちだ、というような意味ではない。
なかなか理系らしい視点で、理路整然としている。思わず膝を叩いて納得してしまいそうだ。しかし私としては、この指摘に関する限り、賛成しない。
この漢詩の作者である孟浩然は唐代の人で、西暦 689年に生まれ、740年に没している。この時代に現代のような時計があったわけがなく、中国では水時計や香時計などが使われていたが、正確に午前 6時を告げることはできなかっただろうという歴史的限界がある。
当時、一般には夜明けから日没までを日中とし、日が沈んでいる間を夜として、その間の時間をそれほど厳密に刻むことはしていなかった。普通には、太陽の位置を基準に時を知るという時代だった。つまり「午前 6時」は太陽の位置に先立たなかったのである。むしろ、太陽が午前 6時の位置に来たときが「午前 6時」だったのだ。
というわけで孟浩然の時代には、現代のような意味での季節に関わらない「午前 6時」という時刻を人々が認識して、その決まった時刻に起きるというようなことは、あり得なかったろうと思われるのである。
もうちょっとツッコませていただくと、「この句はそういう意味だ」というのは致命的である。「句」じゃなくて「詩」なのでね。まあ、各行を「句」(一行目は 「第一句」)というのだが、特定の「句」を指しているわけでもなさそうだし、いくら理系でも、このあたりの常識は知っていてもらいたい。
【文系視点からの異論】
まあ、これは「文系」というよりは「考証学」的な視点という方がいいかもしれないが、基本的に多くの人々が夜にぐっすり眠れるようになったのは、たかだかこの 200~300年ぐらいのことだという指摘がある。
それ以前は、農業をしていればイノシシなどの野獣が畑を荒らすのを防ぐために、眠るともなく聞き耳を立てていなければならなかった。夜というのは油断のならない時間帯だったのである。また必ずしも用水路が整備されているわけではないから、夜の風雨の心配もしなければならなかった。
用水路だけではない。雨漏りがしたらすぐに応急修理をしなければならない。さらに、夜は敵軍が夜討ちをしかけて来かねない。常に用心怠りなく、何かあればすぐに飛び起きなければならなかったのである。人々が夜にぐっすり眠れるようになったのは、厳しい自然や敵軍を常に相手にしなくても済むようになってからのことだというのだ。
ただでさえぐっすり眠れないのに、ましてや冬の間などは、寒くて熟睡などできない。今のしっかりした住宅でさえ、真冬ではあまりの寒さに目を覚ましてしまうことがある。昔の華北の内陸部では、一番冷え込む夜明け前に、寒くて寝てなんかいられないなんてことになるのは、しょっちゅうだったろう。
ところが、春になって世の中が暖まってくると、夜明け前に寒くて目が覚めるということはあまりなくなる。ふと気が付けば風雨が止んでいて、夜が明けて鳥が鳴いているというようなことに、そこはかとない喜びを感じるようになったりする。
この漢詩は、そうした感慨を歌ったものだと解釈するのが自然だろう。つまり「春は眠い」 というよりは、「(夜中は風雨の音がしていたが)夜明け前には寒さで目が覚めなくても済む暖かさになった」 ということなのだ。
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