『唯一郎句集』 レビュー まとめ
『唯一郎句集』のレビューを本格的に始めたのは昨年の 1月 31日だったから、ほぼ 週 2回のペースで、15ヶ月近くかかって、歌集に載った全ての句の鑑賞をした。長いような短いような、不思議な期間だった。
唯一郎が亡くなったのは終戦直後の 昭和 20年、私の生まれる 7年も前のことである。だから私は唯一郎という俳人についてはほとんど何も知らない。ただ、小学校 3年のときに、1冊の自家発行の句集が我が家に届き、後に、その唯一郎という人は、私の実の祖父だと聞かされただけのことである。
小学校 3年の時にぱらぱらとページをめくった時には、ほとんど何も理解できなかったが、それでも何か惹かれるものをずっと感じていた。その思いが、今頃になってようやくまとまった形になったわけだ。
この句集は多分、13回忌か何かの折りに、追悼句集を出そうという話が遺族の間でまとまり、3年ぐらいの期間をかけて、あちこちに散逸した作品をかき集めたのだろう。なにしろ唯一郎は句帳をもたない人で、全ての作品は「作り捨て」という主義の人だったから、集めるにも苦労したと思う。
だから、句集の中身も一応、年代に沿ってはいるようにみえるが、よく見ると飛び飛びになったり順番が前後したりしているとしか思えないところが多々ある。それにしても、もう少し解説的な部分があってもいいような気もするが、「唯一郎研究」なんてしている人は一人もいなかったから、誰もそんなものは書けなかっただろう。
唯一郎の俳句は作り捨てだったが、この句集も、発行されたはされたが、だからといってそれをよく吟味して読んだ人なんて、ほとんどいなかったのではないかと思う。だが、句集まで作り捨てになるのでは、いかにも惜しい。
というわけで、多分、私のブログが唯一の 「唯一郎研究」 みたいなものだ。それにしても、死後 60年以上経ってからのことで、当時を知る人もいなくなってしまったから、「研究」というレベルまでは行かず、ただ作品のレビューになっただけのことである。それでも、少しは供養になったかもしれない。
唯一郎という俳人は、山頭火のように放浪するでもなく、専門的に文芸の道を進んだわけでもなく、晩年に到るまで平凡な家庭人としての人生を歩んだ。それは父が早死にしたので、家業の印刷屋を継がなければならなかったからでもある。
元々俳句を男子一生の仕事にするつもりはなかったといわれているが、父が早死にしなかったら、もしかしたら東京に出て、文芸人としての道を歩んだかもしれない。そのあたりの心境は誰にもわからない。
ただ、残された俳句をレビューすると、心の奥底に「今の自分の人生は、本来あるべきかたちとは違っているのではないか」という思いがあったと思わせるような句がある。もっとも平凡な家庭人としての道を選んだのは唯一郎自身ではあったのだが。
というわけで、唯一郎の俳句は普通の市井人の日常を読み込んだものがほとんどである。その日常の中に、ぞくりとするような非日常的な要素を僅かに滑り込ませるのが、彼の手法だ。ただ最後にはあくまでも日常に帰る。
青年時代の研ぎ澄まされたような瑞々しい感性が、年を経るに従って段々と文人趣味に近いものに変わっていく。それは市井人としての道を選択した自身にとっての必然だったかもしれないが、その中にも最後まで日常と非日常との間に分裂した思いというのが垣間見られるように思う。
『唯一郎句集』 のレビューとそのまとめは、ひとまずこれでおしまい。
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コメント
句集、長い間ご苦労様でした
>唯一郎の俳句は普通の市井人の日常を読み込んだものがほとんどである。その日常の中に、ぞくりとするような非日常的な要素を僅かに滑り込ませるのが、彼の手法だ。ただ最後にはあくまでも日常に帰る。
青年時代の研ぎ澄まされたような瑞々しい感性が、年を経るに従って段々と文人趣味に近いものに変わっていく。それは市井人としての道を選択した自身にとっての必然だったかもしれないが、その中にも最後まで日常と非日常との間に分裂した思いというのが垣間見られるように思う。
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さすがtak-shonai さん
言い尽くされていますね
投稿: alex99 | 2010年4月25日 22:29
このレビューはとても興味深く、そして唯一郎さまの自由な表現に感銘をおぼえました。
ありがとうございます。
朝霧の山頂の木々を詠んだ句がとても好きです。
五感を駆使したというよりも、飄々と詠まれたような、力まずしかし秀逸という作品が多かったような気がします。
ご苦労さまでした。
投稿: jersey | 2010年4月26日 00:52
レビュー千秋楽、おつかれ様でした。
よっぽど、NHKやなんかの俳句番組より、俳句への興味がわきました。
ただ、やってみると…。言わずもがなでご容赦。
ホントに、プロしこう(思考/志向/嗜好)では計れない、撮影に例えるなら、デジタルマクロとスナップショットと長時間露光を楽しめる(?)句集だったと思います。(例えが変かなぁ…)
ともあれ、以前にも書きましたが、takさん、素晴らしいご供養であると、拙は信じております。
投稿: 乙痴庵 | 2010年4月26日 12:31
まとめレスで失礼します。
alex さん:
ありがとうございます。
唯一郎の句の一番すごかったのは、やっぱり 20代の前半ぐらいまでだったという気がします。
それ以後は、「たしなみ」でやっているみたいな感じ。
jersey さん:
>朝霧の山頂の木々を詠んだ句がとても好きです。
「山峡の朝霧に今し朴の花は濡れてあらん」
か、それとも、
「雲霧に立つこの山嶺の樹々一列にて」
でしょうかね。
あるいは、私の忘れてるのがあるかもしれません。
いずれにしても、唯一郎の句は絵画的なところがあるんですね。とても静かな。
乙痴庵 さん:
>よっぽど、NHKやなんかの俳句番組より、俳句への興味がわきました。
今、自由律俳句は壊滅状態ですけど、復興してもいい価値がありますね。
一人や二人でやっても仕方ないんでしょうけど。
投稿: tak | 2010年4月27日 12:57