自由律俳句のようなもの
先週まで週末は、『唯一郎句集』 のレビューをしていたので、それが終わってから初めての土曜日、一体何を書いたらいいのかわからなくなってしまった。で、ふと気付いてみると、Twitter に酔狂で書き込んできた妙な tweet がたまっている。
これ、もしかしたら、唯一郎には到底及ばないものの、自由律の俳句みたいなものかもしれないと思い、出張先で時間もないので、ここにこれまでの分を挙げてみたいと思う。もしかしたら、唯一郎が降りてきたのかもしれないし。
取手の氷雨止まざり 息白し
駐車場の桜凍ゆるに散るを拒むか
氷雨の駐車場の土の白きは車去りてほどなきを語る
空晴れ渡れど秋葉原駅に降りても風冷たし
風冷たき日陰の路地を歩きても灌仏会
時の経つぞ遅きは久し振りに晴れたる日
ビルの上階の窓に映るは蒼き空のみにて
誰が声ぞと聞けば一昨日の我が声の留守電
タンクローリー白き灯りともして国道を下り行く
しんしんと冷ゆれば県道のトラックの音近付き来て遠ざかる
花のあまりに長く咲き続くは桜らしからずとふ人もあり
何処より舞ひ来たりしや週明けの駐車場の花筵 (はなむしろ)
利根川に逆波立てて丑寅の風吹けばいまだコートの襟立てる通勤の人
通勤電車の床雫に濡れ乾くまで暫く
通勤電車の窓結露して行き過ぐる世のすべて幻
葉桜のまま久しく散り残る花ぞかなしき
雨の宵の電車の風切る音いつになくひゆるひゆると甲高くせつなし
向かひでメールする娘の携帯よりテディベアぶら下がり揺れ揺れて我を見る
微かなる冷たさ頬に浴びて雨未だ止まざるを知る宵の帰路
久方のてふ枕詞嬉しき青空にいかにも春らしき綿雲の止まりゐるにもあらず
原野の雑木林に白樺の幹ことさらに白く僅かに曲がり伸ぶ
何故か心引かる恵庭てふ地名
目路の限り広がる石狩の空は等しく灰色にて墨絵の木々
曇りたる北の車窓を手の甲にて拭う人あれば遠眼鏡の原野
最後の作は、ちょっと字余りの三十一文字にして、4月 28日の和歌ログの歌にした。
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コメント
自由律俳句がもう流行っていないというのは知りませんでした
私は大好きですけれどね
tak-shonai さんの俳句は,気のせいか,和歌の趣が少々入っているような気がします
やはり、気のせいかな?(笑)
投稿: alex99 | 2010年5月 1日 15:41
alex さん:
>tak-shonai さんの俳句は,気のせいか,和歌の趣が少々入っているような気がします
元々自由律俳句と思わずに、文語でつぶやいただけですので、こんな感じです。
あとで、ふと、「唯一郎が降りてきたかな?」 なんて (^o^)
投稿: tak | 2010年5月 1日 17:43
花筵ということばを初めて知りました。きれいなことばですね。
私はかつて母校の桜のはなびらの絨毯の道をたどり、恩師に「就職してまもなく大病を患い入院することになりました」という何ともいえん報告に行ったことがありました。
そのときは花の絨毯だけが慰みでした。
おそらく「定年坂」と呼ばれるその坂には毎年花の絨毯が敷き詰められているのでしょう。
身勝手な感想ですみません。
投稿: jersey | 2010年5月 2日 00:40
jersey さん:
>花筵ということばを初めて知りました。きれいなことばですね。
地面だと花筵で、川面だと花筏 (はないかだ) です。
日本語って、ものすごいところがありますね。
大学への急坂と花筵と入院の報告がリンクしていらっしゃるとは、まさになんとも言えない思い出ですね。
ところで、「定年坂」という坂は、日本各地にあるようですね。
「その坂を登るのがしんどくなったら定年間近」というのが名前の元と聞いています。
投稿: tak | 2010年5月 2日 20:40