死ぬほどくだらなくて、死ぬほど素晴らしい日本文化
既に Twttter で tweet してしまったことなのだが、私が案外真面目に英語をモノにしようと思ったのは、日本文化を外国人に英語で説明したかったからってのがある。そりゃ、英語を習い始めた中学生の頃はそんなことまで考えなかったが、高校生の頃にはそんな考えがモチベーションの一部になっていた。
そんな考えがあったので、私は日本文化を半分はエイリアンの目でみるという癖がついてしまったと思う。目の前にリアルタイムで展開しているとても日本的な現象を、日本語で解釈してからそれを英語に翻訳するというのではなく、初めから英語の文脈で解釈して説明を試みている自分がいるのだ。
日本文化を初めからエイリアンの目で見ると、それは死ぬほど素晴らしかったり、死ぬほどくだらなかったりする。
こんなことを言うと、フランス人が能楽を観た時のエピソードというのを思い出す。
昭和 34年に来日したフランス文化使節が能の『熊野』 を観た時、メンバーのほとんどが「死ぬほど退屈した」と公言してはばからなかった。しかしその翌年来日して観世寿夫の『半蔀』を観たジャン・ルイ・バローは「死ぬほど感動した」と絶賛した。
同じ能をみて、死ぬほど退屈したり死ぬほど感動したりするのである。日本文化ってそんなところがある。死ぬほどの素晴らしさの要素として、死ぬほどのくだらなさがあり、逆に、死ぬほどの素晴らしさが死ぬほどのくだらなさの一部だったりする。
「素晴らしさ/くだらなさ」 の二元論に陥ると、日本文化はわからない。素晴らしくてくだらなく、くだらなさが素晴らしいのである。聖は俗に支えられ、俗の極みに聖がある。
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コメント
ジャン・コクトーも酷評したそうです
ジャン・ルイ・バローは,パントマイムもやったので、能を理解したのではないでしょうか?
投稿: alex99 | 2010年5月19日 00:52
alex さん:
>ジャン・コクトーも酷評したそうです
ジャン・コクトーは、いかにも能がわからなそう ^^;)
>ジャン・ルイ・バローは,パントマイムもやったので、能を理解したのではないでしょうか?
それは大きいかもしれませんね。
投稿: tak | 2010年5月19日 10:46