フェティッシュな欲望の器としての書籍
"電子書籍:「元年」出版界に危機感 「紙の本」はなくなるのか" という毎日新聞の記事を読んで、先月 11日に Twitter 上で行なわれた まこりんさんとのやり取りを思い出した。ことの発端は、まこりんさんが次のような tweet をしたことである。
多すぎる本を処分したいけれども、処分できる本がない。布団圧縮パックみたいなのが、本にもあればいいのに。 (参照)
本というのは元々、隙間なくびっしりと圧縮されているので、物体としてはあれ以上は縮まらないのが悲しい。縮めるとしたら、本という物体の形から離れるほかない。そこで、次のように返信した。
綴じられた紙という形で本をもってた頃は、随分な場所ふさぎだったよね - なんていう時代がもうすぐ来そう。便利なような、味気ないような。(参照)
そこからどんどん話が膨らんで、私は相次いで次のように tweet する。
紙の本って、本棚の飾りと、紙の質感を伴って初めて完成するという類いの分野でしか生き残らないんじゃなかろうか。(参照)
壁一面を覆い尽くす本棚にびっしりと並ぶ本を眺めて、「これがハードディスク 1個で済んだら」 とか、「書籍リーダー1台で済んだら」 とか、時々夢想する。だって、昔の LP 100枚が小さな iPod に入っちゃう時代でしょ。(参照)
それに対して、まこりんさんがとてもいい感じの反応を示した。こんなようなものだ。
好きな小説・漫画とかは紙でもっていたいと私なんかは思っちゃいます。情報を扱っただけという類のもの――雑誌なんかはダメだろうけれども、作家性の強い書籍――小説とかは、フェティッシュな欲望の器としてこれからも生きていくんじゃないかなと私は思います。(参照)
どんなに書籍が電子化されようとも、紙の形のままで持ち続けたいという本があるというのは、私もとても理解できる。それを 「フェティッシュな欲望の器」 と表現されているのがまた、とてもよくわかる。
それで、私は自分の本棚を眺めて、「これは電子化 OK」「これはフェティッシュな欲望の器」と、分類してみた。その結果、電子化 OK の書籍はほとんど 9割ぐらいになるという結論に達した。残り 1割が、「フェティッシュな欲望の器」 である。
それが実現したら、私の部屋の本棚は一つで十分ということになる。そうすれば私の部屋もかなりすっきりするだろう。元々私は、「形」あるものとしての「モノ」へのこだわりが、かなり薄いんだろうと思う。
ところで、「フェティッシュな欲望の器」 ってなかなかいい表現なんだけど、いまググってみたら、まこりんさんがオリジンみたいだから、いっそ商標登録しちゃったらどうかとオススメしたくなってしまった。
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コメント
LPレコードにも同じことが言えますね。大きなジャケットに印刷されたアーティストの写真、特徴のあるデザインなどわくわく感がいっぱい詰まってましたね。
ジャケットから注意深く黒光りする円盤を取り出してプレーヤーの上に載せ、スタートのスイッチを押してからゆっくりと針を下ろす、プチッと小さな音が出た二秒後に演奏が始まるという貴重とも言える手順がCDになってから一気に失われてしまいました。
なんだかなぁと思っていたのもつかの間、今じゃダウンロードして買ってしまうそうで、味気ないと思うのはただのおっさんの嘆息なのでしょうか。
マイルスデイビスのLPはいまだに健在です。プレーヤーも現役です。これは譲れない一線ですね。
投稿: ハマッコー | 2010年5月 4日 22:25
ハマッコー さん:
大きなジャケットとライナーノーツ、「音盤」 としての質感。
まさに 「フェティッシュな欲望の器」 ですね。
我が家にも LP が100枚以上眠っているのですが、何しろ、プレイヤーが壊れてしまって、新たに買うのもナンだということで、押し入れの肥やしになってます。
そのうち、アナログ盤を再生しつつ MP3 に変換してくれるというプレイヤーを買おうと思っているのですが、そうすると、フェティッシュな欲望の器ではなくなりますね。
投稿: tak | 2010年5月 5日 10:18
> 「フェティッシュな欲望の器」
ををを。私のオリジナルなのでしょうか!?
結構昔(大学生の頃?くらい)から使っている言い回しなので、あんまり意識しなかったんですけど。
本やら音楽やらに限らず、ヒトって形になったものの方がより愛しやすい生き物だと思うので(――ヒトの肉体がまさしく欲望の器ですから)、モノ化する形で固まった文化って、なかなか廃れないんじゃないかなぁと思います。
電話よりもメールよりも直筆の手紙が一番あたたかく感じる、なんてのもそれなんじゃないかなぁと思いますし。
ちなみに私の場合、浅川マキのレコードなんかはそれです。
全作品mp3音源化しちゃったので、およそアナログ盤を引っ張り出すことはないんですけども、捨てることは出来ません。
投稿: まこりん | 2010年5月 7日 00:15
まこりん さん:
>ををを。私のオリジナルなのでしょうか!?
少なくとも意識的な使用としては、そのようですよ。
>モノ化する形で固まった文化って、なかなか廃れないんじゃないかなぁと思います。
確かに、モノ は コト より強いと思います。
ピカソの絵には 100億円の値段が付くけど、どんな超一流の演奏家のみを集めたとしても、コンサートの入場料でそんな値段は取れません。
モノというのは、特別な意味合いを持っていますね。
投稿: tak | 2010年5月 7日 13:25