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2010年5月29日

親父の思い込みを捨てさせる iPad 狂想曲

Twitter を眺めていると、「予約していた iPad が届いた」と大喜びの人がかなりいる。それ以外にも「うらやましい」「自分も欲しい」という書き込みも多く、さらに iPad を散々クサしながらも、「でも、やっぱり買ってしまいそう」というのまである。

これで 4日続きの iPad ネタになるが、ご容赦いただきたい。この間の iPad のお祭り騒ぎをみていると、やっぱりマイクロソフトの時代は終わりかけているのだとわかる。みんな iPad が欲しいみたいなのだ。アップルの株式時価総額も MS を越えたみたいだし。

考えてみれば、これも歴史の必然みたいなものだ。パーソナル・コンピュータというものが世に登場した頃は、それはマニアのおもちゃだった。それがビジネスに使われるようになり、インターネットの普及を機に、やっと本当に「パーソナル」なものになった。

ところが、ひとたび「パーソナル」なものになってしまうと、これまでの PC というのは、その名にふさわしいものではないということに、みんな気づき始めたのである。なにしろ、こんなにも無駄にオーバースベックで、使い辛くて、重くて、取っ付きにくくて、面倒で、こんなにもカワイクないのだ。

iPad が発表された時、「機能的にはみるべきものがない」とか「こんなのオモチャだ」とかいう批判があったが、私にいわせれば、たいした機能じゃなくて、オモチャだからこそ、誰でも気軽に使いこなせるのである。PC というのは、十分普及したようにみえて実はまだまだハードルが高すぎるのだ。

かの池田信夫センセイも、「日本人は豪華なスペックが好きというのは親父の思い込み」と tweet しておいでだ。そんなこと、10年以上も前からわかっていて、私は昨年の今頃も "「その程度でいいの?」 という疑問" という記事を書いているのだが、世間はようやく気付いたのだろうか。

私は本当に 10年前から「オモチャでなければ、広く使いこなせない」と言い続けている。たとえば、国の IT プログラム開発への補助金交付の姿勢というのも、ずっと批判し続けてきた。

私が実際に経験したことなのだが、確実にニーズがあって、市場に出せばあっという間に普及することが確実なプログラム開発でも、国家に補助金申請を出すと、役所からは「とくに画期的な技術というわけではないので、補助金は出せない」と言ってきた。

それならばどうすればいいかというと、「この原案に、もう少し斬新なプログラムを付け加えて申請してくれれば、補助金を出せる」と言うのである。まさに「親父の思い込み」にとらわれた馬鹿な話である。

仕方がないから、全然ニーズがなくて市場に出しても誰も使いこなせそうにないが、役所の期待だけには十分に応えられそうな「斬新なプログラム」を適当にでっち上げて付け加えると、「親父の思い込み」に満ちた審査段階では非常に高く評価されて、補助金がもらえることになった。

元々の原案なら 500万円で済む補助金が、余計なものを付け加えたおかげで 1000万円以上になってしまい、半分は税金の無駄遣いだが、仕方がない。自分たちには、500万円の金もなくてプログラム開発できないのだから。

プログラムは、その余計な部分をオプションのモジュールにして切り離した形にし、実際の市場ではオプションなしで、元々構想していたシンプルな部分のみをメインにして展開する。そのようにして業界に貢献して、税金の無駄遣い分は穴埋めさせてもらう。

この戦術のおかげで、そのプログラムは、今では日本の業界標準となっている。同時期に補助金をもらって開発したほかの 20以上の一連のプロジェクトで、今でも生き残っているものはほとんどない。もしかしたら、数社で細々と使われているのがあるかもしれないが。

iPad 狂想曲を聞きながら、お役人とその諮問会議のお歴々には、この際すっぱりと 「親父の思い込み」 を捨ててもらいたいと思うのである。

 

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