人間の脳は三等分すら苦手なので
私の中身というのは、7割が近代以前のフォークロア的日本人で、3割が外人みたいなところがある。その微妙なバランスによって、表面上はいかにも現代日本人みたいな顔をしているが、実際には、今の日本の状況には違和感ありありなのである。日本伝来のフォークロア的感覚にも、西欧的合理主義のどちらにも、全然しっくりこないんだもの。
で、フォークロア的日本人の部分は当然ながらかなり古風なところがあって、私は毎朝仏壇に線香を上げたりする人なのである。我が家の宗旨は浄土真宗で、この宗旨では、お線香を上げるとき普段は 1本を 三等分に折って火を付け、横に寝かせて上げるのが習慣である。線香立てに立てないのだ。
ところが、この 1本の線香を三等分するという作業はなかなか難しい。毎朝やっているのに、まあまあ無視できる程度の誤差で 三等分できるというのは、1週間に 1~2度しかない。あとは大体、3本のうちの 1本が長すぎるか短すぎるかということになる。
人間の感覚というのは、1本を 二等分するのは上手にできるように設計されているが、目分量で 三等分するというのは、能力の限界を微妙に超えているようなのだ。
三等分するという作業の順序としては、まず端から 3分の 1(と思われる長さ)を折り取って、その上で、残りを二等分する。そして、最後に 3本を合わせてみると、たいてい長さが揃わないのだ。
前述の如く「3本のうちの 1本が長すぎるか短すぎる」ということになりやすい。長すぎるか短すぎるかする 1本というのは、当然ながら最初に折り取った部分である。その後に二等分した方は、ちゃんと長さが合っている。もう何十年もやっている作業なのに、なかなか上手にならない。
ここで思い出して頂きたいのは、3日前に書いた 「人間の脳はデュアルタスクが限度なので」という記事である。人間の脳は、二択は得意だが、三択はこなしきれないというのだ。前頭葉による論理的タスクというのは、厳密には 2つの要素の比較検討までしかできないみたいなのだ。
だから、ギリシャの昔から、論理的思考というのは基本的に弁証法的メソッドによって、A か B かの二項対立に還元してから行うことになっている。そうでないと、厳密には考えられないからだ。
これは論理的タスクだけかと思ったのだが、実は、線香の 2等分はできても 3等分は難しいというように、基本的な感覚的認識の部分からして、きっちりした比較は 2つまでしかできないようなのである。3つになると、とたんにアバウトになる。
切り取った後のものの長さを厳密に比較するのは簡単にできる。並べてみればいいのだ。だから、多数の要素を比較検討する場合には、数値化して表やグラフにするといい。そうしないと、人間の脳は客観的な判断ができない。
ところが、例えばノート PC を買う場合に、多くの機種を比較検討するとする。CPU の性能、HD 容量、バッテリー駆動時間、重量などは、明確に数値化できる。しかし、キーボードのタッチやデザインなんていう要素は、かなり主観的なものだから、数値比較できない。
そんなこんなで、多数の要素を比較検討すると、全ての点で、「これが一番!」なんていう機種はないという結論になる。どうしても「あちら立てればこちらが立たず」ということになるからだ。人間の脳はただでさえ三択が苦手なのに、候補が 5つも 6つもあるのでは、完全に手に余るのだ。
だから多数の中から 1つを選択しなければならない場合は、「どれを選ぶか」という視点で考えてはいけない。混乱するばかりだからだ。逆に「どれを捨てるか」から入るといい。自分なりに設定した優先基準に達しない候補をどんどん捨てていって、最後に残った二者択一にもちこむと、案外楽に決められる。
ところがこうした論理的判断ではなく、最初から「これしかない!」という直感的判断とか、「これが好き!」という判断とかが存在する。理由はどうでもいいが、とにかく惚れ込んだというようなことなのだ。マーケティングにおいては、このレベルに持って行ければ勝利間違いなしである。iPad なんかは、これに近い。
私が常々「本当に強いのは、論理よりも直観とか感情とかだよ」というのは、こういう意味である。私の場合は、感情的判断はできるだけ避けていて直観の方を信じるのだが、世の中は、得てして「好き嫌い」という感情で動くという部分が多い。
それもみな、「論理的判断」というのは、聞こえはいいが、はなはだ不完全なものだということを、多くの人は知っているからである。
論理的判断なんて、実際には面倒で時間がかかって、いちいち二元論に還元して考えるというテクニックが必要で、しかも二元論への還元のプロセスで、複雑系の中の多くの重要な要素が抜け落ちてしまい、現実から遊離した結論になりやすいのである。
だから、「完全無欠の論理」なんていうのは、今に至るまで発見されていないのだ。
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