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2010年7月 1日

複雑なことを単純化して考える以上の賢さ

複雑なことを上手に単純化できるということは、一つの才能である。複雑なことを人に説明するときに、単純モデルに還元してわかりやすく説明できる人は、頭のいい人である。フツーは複雑なままだらだらと説明するから、説明しているつもりでますますわかりにくくしている。

思考方法もそれと同じことが言える。複雑なものごとをできるだけシンプルなモデルに還元して考えることができれば、結論が出やすい。シンプル化しないと、堂々巡りに陥るだけである。

最近 Twitter で Retweet されまくっている発言に、次のようなものがある。(参照

バカなやつは単純なことを複雑に考える。普通のやつは複雑なことを複雑に考える。賢いやつは複雑なことを単純に考える。複雑に考えるというのは一見頭のいい人のすることのように思えるが、実はまったく逆で単に無駄な回り道。賢い人は単純な姿に変えて核心だけを残すことができる。

これには、私もおおむね賛成である。というより、「複雑に考える」というのは「単純モデルに還元できない」という時点で、実際は「思考停止」に陥っているということだ。つまり、実質的には「考えてなんかいない」のである。

しかし、ここで忘れてはならないこともある。最近何度も書いていることだが、複雑系を単純モデルに還元する過程で、切り捨ててしまう要素というのがかなりあるということだ。

思考における単純化モデルというのは、実際のケースそのままの状態を反映していない。あまり重要でないと思われるいろいろな要素を切り捨ててしまった「思考のためのモデル」にすぎない。だから思考モデルを使って思考した結論が、実際のケースにそのまま無条件に当てはまるわけではないのだ。

実際のケースは複雑系だから、シンプル化された思考モデルの結論を裏切るかもしれない要素を、いろいろと含んでいるものなのだ。少なくとも、実社会とか世間とかいうものはノイズに満ちているから、「世の中、理屈通りには行かない」ということになるのは当然なのである。

ところが中途半端に利口な人は、「理屈通りに行かない世の中の方が悪い」と考えてしまう。自分の論理の不完全さには、まったく無自覚のままで。正直に言うが、私自身にしても昔はそんなところがあった。

つまり私の言いたいのは、「賢い人は複雑なことを単純に考えるが、もっと賢い人は、単純化した過程で切り捨ててしまったファクターがあるということに、きちんと自覚的である」、つまり「論理思考の結論の不完全さに自覚的である」ということだ。

「今回心ならずも対象外にしてしまった要素については、いつかしかるべきタイミングで、きっと考慮させてもらうからね」と思えるのが、本当に賢い人である。

誤解を避けるために言っておくが、私は単純化モデルによる論理思考を否定しているわけではない。モデル思考は、前頭葉における機能の限界に規定された状況下では、最善策と言っていいだろう。しかし、万能のメソッドではないということを自覚して、謙虚に思考しなければならないのだ。

私自身は個別の案件については十分にかどうかはわからないけれど、論理的な対応をしているつもりである。しかし、最終的には直感の方を重視する。それでうまくいくことの方が、実は多い。考えに考えた上での直観(インスピレーション)は、理屈を超えてはいるけど、決して理不尽なものじゃない。

参照:

人間の脳はデュアルタスクが限度なので
人間の脳は三等分すら苦手なので
論理思考の限界
論理思考の限界 その2

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