誤審も含めてサッカー、誤解も含めて世の中
テレビかなんかで得た中途半端で怪しい知識(何とかを食うと痩せるとか、AB型は天才肌だとか、猫が顔をなでると雨が降るとか、どーちゃらこーちゃらするのが洋食のマナーだとか)を、金科玉条のように信じる人がいて、そんな時はまあ、とりたてて害になるわけでもないから、大抵は「はいはい」と、そういうことにして収めてしまう。
それから、「○○って、要するにこういうことですか?」なんて質問を受けて、聞いてみるとその理解はちょっと違うんだけど、でもまあ、そういう筋道でないと理解できないというのなら、それで致命的な支障があるわけでもないし、つい面倒だから「まあ、おおまかなところはそういう理解で OK です」 なんて言っちゃうことがある。
細かい点をごちゃごちゃあげつらっていたら、せっかく 6~7割ぐらいはわかってもらえたのに、かえって混乱して放り出されてしまうおそれがあるし、フツーはそれで十分だと思うことにしている。
考えてみれば私自身にしても、専門外のところでは(もしかして専門分野においてさえ)、似たような思い違いをしていることがいくらでもあるんだろう。世の中は生半可な理解(別の言い方をすれば「ちょっとした誤解」)の集積で動いているというようなところがある。
さっぱりわからなければ、「専門家にお任せ」で済んでしまうのだが、なまじ中途半端にわかっていて、さらに誤解の部分が大きかったりすると、かなりピンぼけな結論に固執してしまって、にっちもさっちも行かなくなることがある。世の中で困るのはこういうケースで、しかも当人が相当に頑固である場合だ。
人間「ブレないのがいい」なんて言われるが、結構な誤解の上に成立した基本姿勢を守り通して「俺はブレない」なんて大見得を切られると、周囲は困ってしまう。それでもなんとか周りがカバーしてやっていくことになるが、「あの人が定年でいなくならないうちは、日常業務に余計な作業が入り込んで、疲れてしょうがない」なんていう老害になってしまう。
というわけで、世の中というのは相当な比率の誤解を含めて動いているのである。「誤審も含めてサッカー」というようなものだ。「世の中、理屈通りには行かない」というのは、こういうことにもよる。世の中を動かす人間の数だけ、「理屈」が存在するのだから。
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コメント
>さっぱりわからなければ、「専門家にお任せ」 で済んでしまうのだが、なまじ中途半端にわかっていて、さらに誤解の部分が大きかったりすると、かなりピンぼけな結論に固執してしまって、にっちもさっちも行かなくなることがある。世の中で困るのはこういうケースで、しかも当人が相当に頑固である場合だ。
ここに書かれている通りですね。
取引先にこういう人がいると苦労します。
情報通信課課長なんて立派な肩書きを持った人がいましたが、一々こっちの調査結果に反論してくる、反論の内容からして知識は希薄であることは明白で、反論に対しての説明に一苦労(相手を部下の前で恥をかかせないように気遣うため)
埒が開かない場合は、最終兵器として専門用語を多用して相手を黙らせます。
結論:専門知識が希薄な人ほど、その分野においては頑固である。
斯くいう私も長期間、知識の誤謬に気付かずヒヤリとしたことも幾度か。
投稿: ハマッコー | 2010年7月28日 22:54
ハマッコー さん:
>結論:専門知識が希薄な人ほど、その分野においては頑固である。
それは確かに言えますね。
よく知っていたら、単純なことを単純に信じ込むなんてことは、おそろしくてできませんからね。
投稿: tak | 2010年7月30日 10:47