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2010年7月29日

指先と脳の関係

"「く」の字触り認知症検査" という記事を読んで、ふいにインド人の手づかみ食文化を思い出した。

認知症検査についての詳細は、リンク先の記事を見ていただきたいが、要するに、「く」 の時に曲がった金属の曲がり具合を、目隠しして触っただけで判断できるかどうかで、認知症の早期検査ができるというのである。認知症になると、触っただけでは曲がり具合がよく認識できなくなるらしい。

何の番組だったか忘れたが、前にテレビを見ていて「外国滞在から帰国し、『自分の国に帰ったんだなあ』と最も実感したのはどんな時だったか?」という質問に対し、インド人が「手づかみで食事したとき」と答えていたのが、とても印象に残った。このように答えたインド人によると、「手づかみで食べないと、本当の味がわからない」というのである。

箸やナイフ・フォークで食事をする文化圏で育った者にとっては、これは衝撃的な指摘である。私は一瞬、「インド人は、指先にも味蕾があるのか?」と思ったほどだ。

いや、いくら何でも指先に味蕾のあるはずがない。指先では味覚は感じられない。しかし、私にはインド人の手づかみ食文化への思い入れが少しだけわかるような気がした。それは「食べ物のおいしさ」というのは、純粋な味覚だけによるものではないからである。

日本人でも食べ物を評価するとき、純粋な味覚的要素以外にも、歯ごたえ、のどごし、舌触り、コシ、もっちり感など、どちらかといえば触覚的要素に属するようなことを大切にする。

それだけでなく、料理の温度も重要な要素だ。冷めたスープは興ざめだが、盛りそばなどはきりっとした冷たさがありがたい。さらに「見た目」も大切だ。目隠しして食事すると、今自分の食べているのが何なのか判断できず、満足感も得にくいという。とくに日本人は、盛りつけなど、見た目にこだわる。

日本人は 「目で味わう」 なんて言われるぐらいだから、インド人が「指先で味わう」ということがあっても、よく考えれば全然驚くほどのことじゃない。指先で食べ物をつまんだときの微妙な感触というのは、料理を味わうときの重要な要素のひとつなんだろう。

そうした微妙な食感までも左右するほどの、繊細な感覚器官だもの、指先の触感を検査することが認知症の早期診断に役立つというのも、「さもありなん」と思われるのである。それに、ずっと前から「指先を使うとボケが防止できる」と言われてきたのも、根拠がないわけじゃないと納得できる。

日頃 PC で作業をする人が、「自分はいつもキーボードを打っているから、ボケ防止になっている」なんていうことがあるが、そんなことで安心してはいけない。実はキーボードを打鍵する程度の機械的な作業では、脳を活性化させるほどには指先の感覚を使っていないらしい。もっとずっと繊細な作業をしないと、ボケ防止にはならないようなのだ。

その意味では、職人的な手仕事や、手づかみでものを味わうというぐらいの繊細な作業、指の動きが微妙な音に再現される弦楽器の演奏なんかをするのが、脳の活性化にはいいかもしれない。料理もいいらしい。なるほどね。

 

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