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2010年7月 2日

アルハラをめぐる冒険

Twitter 上の発言をきっかけに、はてぶ(「はてなブックマーク」が正しいのかな?)上で、アルハラ(酒に関するハラスメント)についての論議が盛り上がったようだ。

きっかけは、@shsetu さんという方の新入社員歓迎だかなんだかの飲み会に関する嫌悪発言のオンパレードに、酒嫌い、あるいは飲み会嫌いによる同感のレスが続いたところに、@akcanon さんが次のような tweet をかましたことのようである。(参照

飲めない事をただ強調するんじゃなくてキチンと理由まで説明すべきだと思うな。学生じゃなくて社会人だし、職場のコミュニケーションて大切なことだよ。お金貰ってるから仕事だけしてればいいってもんじゃないよ。

これについて、Twitter 上というよりは、はてぶ上で火がついたようだ。「飲めない理由」なんて「体質」よりほかにないし、それをいちいち説明しろというのは理不尽である。それで @akcanon さんはかなり叩かれたようで、きちんと反省し、いちいち詫びを入れておいでだ。(詫びのうちのひとつが、こちら

@shsetu さんは本当に酒に弱い体質のようで、これまでにも飲み会で飲酒を強要され、具合悪くなったことが何度もあるようだ。とすれば、「飲まさずにはおかん」 みたいな雰囲気の飲み会はたまらんと思う気持ちはよくわかるし、それに対して「飲めない理由を説明しろ」みたいな言い方されたら、そりゃむっとくるだろう。

この間の事情について、ululun さんのブックマーク のおかげで、kanose さんという方が Togetter でうまくまとめてくれている(参照)のを読むことができた。

これを読むにつけ、世の中には職場の飲み会が楽しみで楽しみで、しかも「飲めない」と言っている部下に無理矢理飲ませるのを無情の楽しみにしているやつらがいる一方で、当然ながら、それが苦痛で苦痛でしょうがない人間というのがかなり存在しているとわかる。

私は一昨年の 6月に「酒離れの事情」というエントリーで、近頃の若者には、たとえ酒が好きでも職場の飲み会は嫌いという風潮があると書いている。ましてや酒を受け付けない体質だったら、職場の飲み会は苦痛のほかの何物でもないということが多いだろう。

かくいう私も、そんなに飲み会したかったら飲みたい者だけで行けばいいという考えである。職場で必要な情報(仕事には直接関係ないけれど、共有しておく方がいいという情報も含めて)なら、職場で語ればいい。職場で語れないような裏情報をうかつに共有してしまうと、妙なオッサンと妙な共犯関係が構築されてしまって、うっとうしいのである。

「職場では語れないことを飲み会で語り合う」 なんてビミョーなことが大好きな人は、こうした「妙な共犯関係」を構築しておきたい人だ。非公式な共犯関係を構築することが必要な場合も、時にはないわけじゃないが、そんなにしょっちゅう望みもしない共犯関係に引きずり込まれるのは、たまったもんじゃないのである。

飲み会にマメに顔を出しておく方が、出世のためにプラスになるという人もいる。しかし出世の代償がおもしろくもない飲み会にしょっちゅう付き合うなんてことなら、出世なんてしなくてもっと有意義なことに時間を使いたいという価値観があるということに、飲み会大好き人間は気付かない。

彼らは、飲み会で楽しめてその上に出世ができるのなら、こんなにいいことはないと思っている。なんという価値観の乖離だろう。今時こうした種族がリードする会社は、ロクなものじゃないと思っていい。

誤解のないように最後に断っておくが、私は気の合う者同士の飲み会なら大好きである。しかし、そこに嫌らしい上下関係とか利害関係とかいうややこしい要素が入り込むと、とたんに嫌になる。酒のつきあいの仕方で左右されるなんていう仕事は、したくないものである。そんな仕事にしがみつかなくても、メシは食えるので。

さらにたとえ上下関係や利害関係がなくても、全然話の合わない人と飲むというだけでも私なんか、かなり苦痛に思ってしまう。私の飲み会の間口は、かなり狭い。せっかくの飲み会ならうまい酒を飲みたいし、うまい酒になるかどうかは、一緒に飲む相手によるのである。

楽しい飲み会なら、たとえ酒が飲めない体質でも、酒を飲めるやつと同じ会費を払ってウーロン茶オンリーでいいから、喜んで参加したいと思うだろう。

 

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コメント

>楽しい飲み会なら、たとえ酒が飲めない体質でも、酒を飲めるやつと同じ会費を払ってウーロン茶オンリーでいいから、喜んで参加したいと思うだろう。

まさにその通りです。私もかなり間口は狭い。
元々酒はあまり飲めない。酒を飲みながら仕事の話をするのもいや。他人のバカッ話しを聞くのはいいが、下品な話しは聞く気はしない。特に、忘年会新年会などでは、箍を外して何がしかのトラブルを起こすやつがいるので、そんなの見たくも関りたくもなく、一切出席をしない。というわけでかなり付き合いの悪い男で通ってます。
(もうひとつの理由は鍋物を他人と共有するというのが私にはできない)

もっとも、最近は飲酒運転のことや、酒を取り巻く環境の変化により、酒を飲まないのは本人の自由という風潮になってきて、下戸には過ごし易い社会になってきましたね。

“俺の酒が飲めねえのか”ってもう死語といってもいいですね。そういう輩が消えるのに紆余曲折40年かかりましたね。

投稿: ハマッコー | 2010年7月 2日 15:26

ハマッコー さん:

>もっとも、最近は飲酒運転のことや、酒を取り巻く環境の変化により、酒を飲まないのは本人の自由という風潮になってきて、下戸には過ごし易い社会になってきましたね。

飲酒運転厳罰化は、追い風になりましたね (^o^)

>“俺の酒が飲めねえのか”ってもう死語といってもいいですね。そういう輩が消えるのに紆余曲折40年かかりましたね。

いや、40年どころか、少なく見ても 200年以上かかったんじゃないですか?
(それ以前は、庶民がそんなにしょっちゅう飲酒する習慣があったかどうかわからないので)

ところで、中国での飲酒強要はすごいらしいですね。

その話を聞くたびに、私は中国に行きたくなくなります。

投稿: tak | 2010年7月 2日 15:39

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