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2010年8月28日

ガラパゴス化って、そんなに悪いことじゃないのだが

iPhone を使い始めて 1年以上経った今、もはや、これなしでの生活は考えられないようなところまで来てしまった。iPhone なしでも生きていくことぐらいはできるが、もう不便でしょうがないという感じになるだろう。

これほどまでに iPhone のヘビーユーザーと化してしまった私だが、フツーのケータイ、というか、単に「通話をする道具」としてみれば、むしろ使いにくいと感じている。単なる電話機としてならば、以前に使っていた ソフトバンクの 705SH とかいう機種の方がずっと使いやすかった。

iPhone を使い続けているのは、日本の携帯電話機としてのちょっとした使いづらさを補ってあまりあるだけの、豊富なメリットがあるからである。逆に言えば、こうした豊富なメリットをとくに必要としなければ、つまり、通話とちょっとしたメールができさえすればいいというのなら、フツーのケータイの方がずっと使いやすいだろう。

いわゆる「フツーのケータイ」のことを「ガラケー」ということを、最近知った。「ガラクタ・ケータイ」は言い過ぎではないかと思ったら、「ガラパゴス・ケータイ」の省略形なのだという。

「ガラパゴス化」ということが悪し様に言われ始めて久しいが、私は前から「それって、そんなに悪いことなのか?」と疑問に思っていた。今でも上記の如く、通話とちょっとしたメールのためだけなら、ガラケーの方がずっと使いやすいと、弁護しているわけである。

そりゃそうだ。「ガラパゴス化」というのは、日本という特殊な市場に合わせて、多くのメーカーが技術の粋を競ってきた結果なのだから、使いにくいわけがないのである。世界標準なんてものが、この特殊な市場で無条件に通用するはずがないのだ。

平成 19年の 12月 12日の記事でも書いてあるように、私はガラパゴス化はそんなに悪いことではないと思っている。日本市場というものが結構特殊なものである以上、そこに適応して発展したものが、ある程度の特殊性をもっていないわけがないではないか。

国内市場に限界がある以上、海外進出しなければならないのだから、国際標準に適合する必要があるとも指摘されているが、実際には海外に市場を求めなければならないほど国内市場がシュリンクするのは、少なくとも何十年か先の話である。そこで、上述の記事で私は次のように書いている。

何十年か先の国際標準というのは、今の標準とは、多分違っているだろう。あまり早めに国際標準準拠なんてことをしてしまうと、本当に必要になった時には、それがレガシー・システムになっていたなんてことになりかねない。

それに外資が日本に進出して、国際標準とやらを押しつけてきても、ウォルマートが未だに日本市場に根付けないように、いくら外圧でも、日本市場の特殊性を根本から変えるのは大変だ。不可能ではないにしても、めちゃくちゃ時間がかかる。

市場ニーズの自然の成り行きに対応して、商品企画を緩やかに変化させていけばいいだけのことである。国際標準適合のためのみに標準化を急ぐ必要はない。

ただ、まったく新しいことを日本に定着させるために、無理矢理に最初からガラパゴス化を狙う必要も、まったくない。つまり、これから本格化するであろう電子書籍のために、ことさらな日本スタンダードなんてものを必死になってこねくり上げる必要はない。

普通のテキストなら、既にある国際標準の ePUB 準拠でいいし、縦書きやルビといった日本独特のルールも厳格に表現したいというなら、やたらと面倒なフォーマット整備と利害の調整に無駄な時間を割くよりも、PDF でさっさと電子化してくれる方がずっとありがたい。

紙の書籍で実現されてきたスタイルの細部の細部まで譲れないというなら、ずっと紙の書籍を買い続ければいいだけのことだ。そうしたタイプの人のわがままに合わせていたら、いつまで経っても書斎の本棚があふれかえる状況は変わらないし、絶版書を読むために古本屋を探し回らなければならないのである。

 

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