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2010年8月20日

高速道の無料化を巡る冒険

高速道路無料化社会実験とやらで、日本のあちこちで高速道路が無料化されている。私の生まれた山形県でも、山形道の山形北 IC から先、終点まで無料になった。この他にも、東北中央道の山形上山~東根間、米沢南陽道路全区間が無料化されている。

で、今回お盆で帰郷した際、どんな様子になっているか通ってみた。これまでは、寒河江より先なんていうのは日が暮れればそんなに混まないので、節約の意味もあって一般道を通ることの方が多かった。

たまに山形道を通っても、すれ違う車もほとんどなく、がらんとしていたのである。高速道を通っても、1時間も 2時間も早く着くというわけでもなく、通行料金が余計に取られるだけなので、あまり利用することもなかったわけだ。

ところが今回、山形道を通って酒田まで行ってみて驚いた。なんと、それなりに混んでいるのである。月山の先なんて、これまでは夜間は 10分に 1台すれ違うかどうかという状況だったのに、今回は渋滞するほどではないが、普通に混んでいるのである。対向車線もひっきりなしに車が通りすぎてすれ違う。これまでにはなかったことである。

つまり、これまでは高速道を通ろうが一般道を通ろうが大した差はないので、ほとんどの人は一般道を通っていたのだが、最近は高速道も無料化されたので、多少なりとも早く着くなら高速道を通ろうということになったようなのだ。

これをどうみるか、興味深いところである。これまではみんなケチっていただけということもあるが、視点を変えれば、せいぜい数百円の通行量なんか取ることにしていたために、せっかくの道路がほとんど宝の持ち腐れになっていたということもできる。

結果としてみれば、無料化してでもきちんとした活用した方が、ガラガラのままで放っておくよりも経済効果は高いんじゃないかと思うのだが、どんなものなんだろう。

 

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コメント

経済効果に準じた道路網構築の代表例はドイツのアウトバーンですが、利用者負担と無料の原則は絶えず議論される税政です。

上のような考え方も当然で、なによりも事故を減らすことが出来ます。そして高速道路へと長距離移動や運送を流すことで、騒音をはじめとする環境を良く出来ます。生活圏の生活道路と物資の大量輸送の流通を分けることが肝心です - この点で欧州の軌道は経済性が低下する一方です。

反面、ドイツでもお年寄りなどは態々高速道路を使わずに国道を好んで使う者も少なくなく、観光客と合わせて国道などの車の流れを阻害していることも少なくありません。当然急ぐ者は高速道路を通ればよいのです。

日本のこの問題で最も議論されていない点は、「経済効率要するに利用率が上がれば渋滞化する原則」で、更に増線をしなければ機能低下していく点です。要するに経済性を考えるならば絶えず道路の整備と増設が基本となります。

そうした議論や調査・要請の先鋒に立つのが、大手の自動車クラブでその会員の大きさからドイツで最強のロビイストです。お分かりのように日本の交通何とか協会と呼ばれる警察官僚の天下り先の「特殊法人?」を即解散すべきで、高速無料化の議論に最も欠けているのがこうした強力なロビイストの存在でしょう。

投稿: pfaelzerwein | 2010年8月21日 14:03

pfaelzerwein さん:

>高速無料化の議論に最も欠けているのがこうした強力なロビイストの存在でしょう。

山形道などは、「活用されるかどうかは知らん」 といわんばかりの 「造りっぱなし」 状態でした。

利用者にとってよりも、管理者側にとって 「必要な道路」 として存在していたわけです。

経済性に関しては、個別の路線によって微妙に違いますから、まとめて議論するのはナンセンスだと思います。

端的にいえば、余計な輸送や移動はしなければいいのですが、そういうわけにもいかないのがやっかいです。

投稿: tak | 2010年8月21日 21:50

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