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2010年9月15日

「夫婦別姓」には消極的反対の私

今さらながら、夫婦別姓問題について書こうと思う。私個人としては、夫婦が別姓でも「ああ、この夫婦はそういうことなのね」と、別に何の感慨もなしにそれを受け入れることができるのだが、世の中にはそうでもない人が案外多いので、どうも社会を不安定にする要因になるんじゃないかと思っている。

だから個人的にはどうでもいいが、社会全体への影響という視点で、夫婦別姓によって生じたきしみの妙なとばっちりを浴びるのはまっぴらご免なので、「消極的反対」の立場を取っている。

いつもの「健康のためなら命も惜しくない」というわけにはいかないという論理である。「男女平等化のためなら、社会的混乱も辞さない」というような、思いっきりのいい人間じゃないのだ。私は。

夫婦別姓に正面から反対する立場の人は、「親と子の名字が別だと、家族の絆が薄れる」ということを、最大の反対理由に挙げている。私個人は、父か母と名字が違っていたとしても、別に抵抗は感じないが、世の中にはそのことで疎外感を覚えてしまう子供もいるだろう。

いや、確かにいるのである。本当に世の中にはどうということもないことで、親との断絶を感じてしまうウェットな子供がいるのだ。

例えば、早いうちから一人で寝る習慣をつけてやろうとして個室を与えられると、親の愛情に飢えておかしくなってしまう子もいるのである。友達が親子で川の字になって寝るなんてことを聞かされるとうらやましくてしょうがなくなって、自分の両親は愛情に欠けているなんて思ってしまう子がいるのだ。

私なんか子供の頃、そんなに裕福じゃなかったから、個室で一人で寝る子がうらやましかったが、逆の思いを抱いてしまう子も少なくないのである。一人で寝るのが、一人でメシを食うのが、一人で本を読んだり絵を描いたりすることができないのだ。

そうした子は、親とべったりの愛情を感じていないと安心できない。そして大人になっても、自分の子供とべったりでいないと安心できないのである。それがないと人格が崩れてしまう。「家族というのはいつも濃密に触れ合っていなければならないのに、それが欠けてるから、俺はこんなになってしまったんだ」なんて、妙な思いを抱くようになったりする。

「そんな馬鹿なヤツがいるのか?」と、信じられない人もいるだろうが、私なんか案外その手の人生相談をもちかけられたりすることがあって、世の中にはそんなような超ウェットな手合いがものすごく多いということを、経験的によく知っているのである。

そんな相談を受けてしまうと、「お前は甘ったれすぎだ」とか「お前は間違ってる」とか、つい言いたくなってしまうこともあるのだが、それは考え物である。そんなことで解決できるほど、人間というのは理屈通りに進むものじゃないのだ。そんなタイプの人間には「甘美な甘え合い」が人生で不可欠の「美しい要素」なのである。

彼らは、一人で寝たり、メシを食ったり、本を読んだり絵を描いたりするなんて、「そんな寂しい人生をおくるのは、不幸なことだ」と思ってしまうのだ。私なんかはそれと逆で、いくら家族でも必要以上にべたべたしたら、うっとうしくてたまらなくなってしまうのだが、まさに「人生いろいろ」である。

濃密な触れ合いを求める「非論理」「感情過多」のタイプの人間にとっては、親子で名字が違うなんて、もってのほかだ。親の勝手な都合や好きずきの問題で、家族で他人みたいに名字が違うなんて、許し難いことで、それだけで妙にねじくれてしまいかねないのだ。そんな子があちこちに出てきたら、それこそ社会の不安定要因になる。

というわけで、繰り返すが、私は夫婦別姓には「消極的反対」である。仕事上の理由で途中で名字を変えたくないというという希望には、旧姓を「通称」として使い続けるという手もあって、それはそれで案外広く受け入れられていることだしね。

【2010年 12月 23日 追記】

遅ればせながら、この問題についてのその後の考えの変化について追記させていただく。

2015年 12月 7日付 " 夫婦別姓でもいいじゃないか":「消極的容認」に転向

2018年 11月 9日付 "「夫婦別姓」 は、保守派にもメリットがあるだろうに": 賛成姿勢が強まる

2020年 12月 17日付 "「選択的夫婦別姓」は、はっきり「賛成」と言っておく " 「積極的賛成」の態度を明確化

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コメント

そもそも夫婦別姓は、「なんで女性だけが苗字を変えなければならないの?」という男女平等の立場から提起された問題だと思います。
その主張自体はごもっともですが、それならば「男性も(が?)姓を変えればいい」という結論で終わりそうなものですよね。
でも抵抗感のある人が多いみたいだから、そこを主戦場にしないように別姓という折衷案が出てきたのかなあと憶測しています。所詮折衷案なので、takさんの仰るとおり、「子供はどうすんねん」という問題が生じてしまう。
たぶん、どうやっても全員が不利益を被らない方法はないでしょう。

開き直り、結婚して戸籍を作るときに全く新しい姓にするというのもアリしれないですね。
日本の国民背番号制度がアメリカの社会保障番号みたいに強力なものになれば混乱も比較的少なくて済むかも。
でも、「夜露死苦」とか「酒鬼薔薇」系の苗字を使う人が続出しちゃうのかな?

投稿: きっしー | 2010年9月16日 18:55

きっしー さん:

>そもそも夫婦別姓は、「なんで女性だけが苗字を変えなければならないの?」という男女平等の立場から提起された問題だと思います。

余談ですが、前に以下のようなことを書いたのを思い出しました。

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2008/10/post-5ec7.html

(以下、自分の記事からの引用)

>「夫婦別姓」 がフェミニズムかというと、そうとも言い切れない。お隣の中国と韓国は元々夫婦別姓の国だが、それをフェミニズムに立脚しているなんて考える人はいないだろう。

>むしろ基本的なコンセプトとしては、父系的制度の中で妻は単に子孫を作るための道具であり、西欧的な意味合いでの 「ファミリー」 の一員としては認められていないのだということのような気がする。
(引用終わり)

で、結婚したらとか、成人になったらとかで、まったく新しい名字にしちゃったら、今度は 「家族の絆」 どころか 「ご先祖様との絆」 が問題になっちゃうでしょうね。

>でも、「夜露死苦」とか「酒鬼薔薇」系の苗字を使う人が続出しちゃうのかな?

それが心配 ^^;)

投稿: tak | 2010年9月17日 09:17

>そもそも夫婦別姓は、「なんで女性だけが苗字を変えなければならないの?」という男女平等の立場から提起された問題だと思います。

民法第750条で「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、"夫又は妻の"氏を称する。」(強調は筆者)と定められている時点で、制度上はすでに男女平等ですよね。なので、「夫婦別姓にできるようにすれば男女平等になる」という発想自体、私にはナンセンスに見えます。

むしろ、婚姻を機に夫の姓を名乗りたい女性に対し、夫本人やその親がそれを認めない(=別姓を強要する)、という形の差別が新たに発生するかもしれません。また、「別姓」に優越感を抱いた女性が改姓した女性を差別する、という風潮が生まれる可能性も考えられますね。

そもそも、世間が「女性が改姓すべし」という旧態依然の考え方から抜け出せていないのが一番の問題では……。

投稿: 綾川ほとり | 2010年9月18日 22:39

綾川ほとり さん:

>民法第750条で「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、"夫又は妻の"氏を称する。」(強調は筆者)と定められている時点で、制度上はすでに男女平等ですよね。なので、「夫婦別姓にできるようにすれば男女平等になる」という発想自体、私にはナンセンスに見えます。

制度と慣習のギャップが問題なのでしょうね。
ですから、制度を変えれば済むという問題じゃないというのが透けて見えます。

>むしろ、婚姻を機に夫の姓を名乗りたい女性に対し、夫本人やその親がそれを認めない(=別姓を強要する)、という形の差別が新たに発生するかもしれません。

中国・朝鮮半島的父系主義になってしまう危惧ですね。

>そもそも、世間が「女性が改姓すべし」という旧態依然の考え方から抜け出せていないのが一番の問題では……。

結局ここに戻り着きますね。

投稿: tak | 2010年9月19日 00:11

私は 賛成派(♂)です。

フェミニズムというよりか、婚姻後 両者が妻側の姓を名乗る 夫側の姓を名乗るに加えて 別姓を名乗るという選択肢が増えるわけですから。

それよりも 反対派のかたの意見が いまいち理解不能なんです。

「別姓だと家族のきづなが薄れる」??? いや そう思ったら 同姓を選択すればよいのではないかとおもうのですが、 それとも 他人の家族のきづなを気遣ってくれているのでしょうか。
だとすると それは 余計なお世話ですし、同姓だけでつながっている家族って 既に崩壊しているよな気も、、

たしかに フェミニズム的には 綾川ほとり さんの心配されるように 法制化されても
a. 夫側の姓を名のることを強要
b. 別姓を名のることを強要
の両者とも なくならないので それほど意味は無いと思いますが、だからといって 別姓を法律により 禁止する根拠とはならないと思いますが どうなんでしょうねぇ。

投稿: Sam_Y | 2010年9月19日 17:43

Sam_Y さん:

>だとすると それは 余計なお世話ですし、同姓だけでつながっている家族って 既に崩壊しているよな気も

勝手にドメスティックに崩壊しているだけなら、それでいいんですが、それはたいてい外にも影響するので、本文にあるように「とばっちりを被りたくない」という理由で、私は(消極的ながら)反対しているわけです。

同姓だけで辛うじてつながっているんだとしても、少なくとも、とばっちりも小さいだろうと。

投稿: tak | 2010年9月19日 19:52

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