「停滞」を巡る冒険
政治なんか、最もその傾向が色濃く現れてるわけだけど、最近の日本の状況ってかなり停滞気味で、おもしろい話題がないのだよね。おかげで、ブログを毎日更新している私はネタ不足に悩んじゃってる。
で、ふと気付いたんだけど、ネタ不足に陥るような停滞した状況というのが、今の日本の最大のトピックなんじゃないかということだ。大抵のことは既に語られ尽くして、目新しいことにはおもしろい要素が発見できない。まさに「停滞」である。
「停滞」といえば思い出すのが、山登りの時の悪天候による「停滞」。無理して出発せず、天気が回復するまで山小屋やキャンプ地でゴロゴロしていることだ。晴れ男の私だが、それでも若い頃に盛んに山登りしていた頃、2度だけ停滞したことがある。
両方とも妻と一緒の縦走で、山小屋は利用せず、テントでの停滞だ。一度は山形県の朝日連峰の縦走、二度目は南アルプスの東側稜線を広河内岳から北岳まで縦走した時だ。とくに南アルプス縦走のときは、台風が急に進路を変えてやってきたようで、農鳥岳付近の稜線直下で、テントがバホバホいうほどの強風に煽られた。
で、その時だったのである。我が故郷、庄内の酒田市で 40.1度という最高気温を記録したのは。
「明日は晴れるだろうなあ」 と心配しながら携帯ラジオで天気予報を聞いていて、いきなりそんなニュース飛び込んできたのである。こちらは標高 3000メートルの稜線で大粒の雨と強風に煽られているのに、故郷では 40度を超える暑さを記録していたのだ。改めてネットで調べたら、昭和 53年 8月 3日のことだった。32年も前である。
エアコンもあまり普及していなかった頃とて、酒田市民は扇風機と団扇ぐらいのことで耐えていたらしい。
「昼間は、『なんだか、今日の暑さはおかしい、おかしい』と言いながらも、みんなちゃんと仕事をしていたんだから、人間というのは大したものだよ」と、父は今でもその日を思い出して言う。「ところが、夕方のニュースで 40度を越えたという事実を知らされたとたんに、『道理でおかしいと思ったあ!』なんて言いながら、みんなぶっ倒れてしまったよ」
まさに「知らぬが仏」とはこのことだ。ちなみに、この日のことで一番印象に残っているのは、「人の座っていた座布団に座ると、ひんやり感じた」ということだそうだ。なるほど、体温で冷やしていたわけだね。
この日の暑さは台風のフェーン現象によるものなので、一日限りだったが、今年の暑さは、40度にはならないものの、今日までずっと続いてきた。おかげで夏バテ寸前である。
今日は台風 9号接近のおかげで、雨は激しいものの、少しは涼しくなっている。ところが、台風が過ぎ去ったらまた暑さが戻るらしく、停滞感は払拭されずに残るらしい。やれやれ。
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コメント
私の場合、ブログのネタ、と言うか、書きたいテーマはいっぱいあるのですが(例えば、時事問題に対する文句とか、昔の海外での想い出など)、ブログを書く時間と気力が無くて(涙)
気力に関しては、私の年令の他に、今年の猛暑もありますね、確実に
来年はどうなんでしょうね?
年々、ますます暑くなっちゃうんだろうか?
この頃しみじみ思うことは、外から帰ってきた時に急いでクーラーをつけて、しばらくしてじゅうぶん冷えた部屋の冷気は、いわゆる、一つの、ご馳走だな~ということです
昔は扇風機で済んだんですがね
投稿: alex99 | 2010年9月 8日 14:13
続けてですが
昔、子供の頃、夏休み、「今日は今年で一番暑いな~」と思って温度計を見ると、27度近辺でしたね
そんなときは、扇風機をつけただけでじゅうぶん涼しかったし、縁側に出てうちわで扇げばじゅうぶんだった
庭に水打ちをしたら、すぐ冷気を感じた
西瓜も井戸に漬けておいたら、じゅうぶん冷たいと感じた
暑さの次元が違ってきましたね
投稿: alex99 | 2010年9月 8日 14:18
alex さん:
基本的に、私のブログは時事問題で文句をつけまくるというスタンスではないので、それだけに (文句をつけまくられそうな状況なので)、ネタに困ってるわけです ^^;)
ガンガン文句をつけまくったら、私のブログじゃなくなっちゃいますので。
今年の暑さは、やはり特別なことだそうですよ。
暑さの要因が 3つも 4つも重なった結果らしいです。
春までエルニーニョがあって、東太平洋の海水面の熱が上空にため込まれてたところにもってきて、夏からはラニーニャになって、さらに西太平洋の熱が供給され始めた。
さらに、インド洋の対流活動まで活発になり、チベット高気圧が異常に発達して日本方面まで張り出してきた。
エアコンの使用が増えて、都市気候まで促進された。
などなど。
来年の夏、これらの要素の一つでも欠けてくれれば、今年のようなことはないと思うんですがね。
確かに、庄内地方でも、夏休みの絵日記で最高気温を記入するときに、30度以上はほとんどなかったと記憶します。
投稿: tak | 2010年9月 8日 15:12
人間って、何度くらいの気温なら生存できるんでしょうかね。
とりあえず個体として生命を維持できたとしても、子孫を残せなくなって長期的には種として死滅するレベルの気温ってのもあるでしょうし、文化とか文明が変わっちゃうレベルの暑さってのもあるでしょうし。
太陽の表面温度は6000度で、コロナに至っては100万度もあるらしいので、5度や10度なんて宇宙的な観点からは誤差の範囲でしょうから、そう遠くない将来に我々があっさり絶滅しても仕方がないのかもしれません。
そう考えると、民主党の党首争いなんて、タイタニックの甲板上でデッキ・チェアを並べ替えてるような話ですね。
なんか、気が軽くなりました。
わはは。
投稿: きっしー | 2010年9月 8日 18:24
きっしー さん:
地球上では、80%以上の生物が死滅してしまったという大規模気候変動が、これまでに 3度あったらしいですね。
3度目の変動の後に、ほ乳類、とりわけ人類が栄えて今に至っているわけですが、4度目がこないとも限らない。あるいは既にそれは始まりつつあるのかもしれない。
そう思うと、まあ、大抵のことは些細なことに思われますね (^o^)
投稿: tak | 2010年9月 8日 19:29
takさん、初めまして。
ふっくと申します。日々楽しく拝読させていただいております。
酒田が40.1℃を記録した時、小生は高3の夏、鶴岡でそれ以上の気温だったと記憶しております。測候所がないため公式記録として認定はされませんでしたが、山大農学部の百葉箱でそれ以上の気温であったと荘内日報は伝えておりました。それを読んで何故か「勝った!」と喜んでいたのを覚えています(笑)。あの日アスファルトは溶け自転車に乗ると車輪がめり込み、歩いてはサンダルもめり込みアスファルトが足の指に着いてしまう有様。辺りは異様な静寂に包まれていたことを覚えております。蝉が暑さのため木の根本に落ちてしまい、鳴いていなかったんですね。でもその夜、暑い暑いと言いながら蚊帳の中でぐっすり眠ていたのは今では考えられません。当時は暑いといっても夜はまだ凌ぎやすかったのかもしれませんね。
投稿: ふっく | 2010年9月 8日 23:50
ふっく さん:
貴重な体験報告、ありがとうございます。
>それを読んで何故か「勝った!」と喜んでいたのを覚えています(笑)。
このあたり、なかなか微妙な感覚 (^o^)
アスファルトが足の指に付くというのは、すごいですね。
夜になればぐっすり眠れたというのは、やはり 30年以上前のことと実感しました。
投稿: tak | 2010年9月 9日 09:41