賊軍の子孫は DDT をふりかけられたという仮説
昨日、カレーの話の勢いで、私の育った庄内地方では昭和 30年代後半まで、定期的に小学生に DDT を振りかけていたということを書いたら、alex さんが「DDTの話は、以前にもここで読んで、びっくらしました(笑)」とコメントしてくれた。そういえば、この話は前にも書いたんだった。
自分のブログ内検索をかけてみたら、それは一昨年の 11月 10日から 11日にかけてのこと。10日にちらっと DDT を浴びせかけられていたということを書いたら、alex さんが「 びっくり」というコメントを残してくださった。そこで、翌 11日に「DDT を巡る冒険」という記事を書いて、もう少し深くつっこんでみたのだった。
DDT そのものと、それを振りかけられていたということに関しては、あまり繰り返すこともないと思うが、その記事についたコメントから、小学校の生徒に定期的に DDT を振りかけるという乱暴な風習に関しては、かなり地域差があるということがわかったのである。
まず、東京と alex さんが育った大阪では、小学生に DDT を振りかけるなんていう野蛮なことは行われなかったようだ。これはまあ、大都市なので終戦後のかなり早い段階で衛生面のインフラが整えられ、DDT なんて必要なかったのだということにしておこう。
ところが、同じ大都市でも東海ベースの 乙痴庵さんが、「名古屋はあったみたいですよ。親父が昔、そんなことをのたまわっていたような…」とのコメントを残してくれている。同じ大都市でも、ずいぶん扱いが違う。
東京や大阪からの距離が重要ポイントなのかも知れないと思ったが、そうとも言い切れない。会津の雪山男さんが「うちの母に聞いてきましたが、DDT やられたそうです」とコメントする一方で、土佐生まれの mikio さんが、「私は四国の山奥の生まれ育ち(昭和26年生)ですが、学校では DDT はなかったように記憶しています」とコメントしてくれている。
ここで、当時の私に素っ頓狂な仮説が浮かび上がってきた。東京と大阪を別とすれば、明治維新の時の賊軍の子孫は DDT を浴びせられ、官軍の子孫はそれを免れたのではないかという推論だ。
会津も庄内も賊軍である。名古屋だって徳川家のお膝元だから賊軍だ。土佐は中央からものすごく離れているのに、官軍だったから DDT なんか振られずに済んだ。
何しろデータが少なすぎるので、この仮説を大声で言うのははばかられるが、「あなたは(あるいは、あなたの親は)、昭和 30年代に学校で DDT を振りかけられましたか?」という調査をすると、もしかしたら、この仮説が実証されちゃうかもしれない。
もちろん、こんな馬鹿馬鹿しい仮説は実証されない方を望むが、よかったら、ご自分または親の世代の経験と地域を、コメント欄に書き込んでいただければ幸いだ。
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コメント
天竜川中流に近い浜松ですが、DDTを振りかけたなんて事はなかったですよ。(1949年生)小学校では、体内の「回虫」駆除に(かいにん)という名前の駆除剤を飲まされました。苦かった・・・お袋も見た事はなかったようです。(昭和2年うまれ)
投稿: 天使の輪 | 2010年10月11日 17:03
天使の輪 さん:
ありがとうございます。
浜松は DDT なし と。
東海道はおしなべて、官軍寄りですね。
ところで、尾張も実は、官軍に寝返ってるんですね。でも、徳川家だから、ビミョー。
投稿: tak | 2010年10月11日 18:39
昭和二十年代後半に生を受けましたが、DDTを振りかけられたことはありません。上州です。DDTは蚤退治のために畳に振りかけたことはあります。寄生虫駆除の薬は飲まされました。
昭和30年後半までDDTを振りかけられたと知り、alexさんと同様、びっくりしました。
投稿: ハマッコー | 2010年10月11日 19:56
大阪出身です
うちの両親(昭和10年前後)は戦後の短い間だけだったようですがDDTをかけられたと言っていました。
南軍に付いた神社の氏子だから賊軍かも知れません
投稿: 蝠樂亭 | 2010年10月11日 22:50
ハマッコー さん:
上州は賊軍じゃないですよね。
ふぅむ。
なんだか仮説が当たってきたような、イヤな感じが … ^^;)
投稿: tak | 2010年10月12日 09:59
蝠樂亭 さん:
>南軍に付いた神社の氏子だから賊軍かも知れません
そんなに執念深かったのか ^^;)
投稿: tak | 2010年10月12日 10:00
山口(官軍側)の者です。
気になったので祖母に聞いてみました。
学校で強制的にDDTをかけられたことはなかったそうです。
頭に虱がいる人は何人もいたが、学校としてどうこうすることはなかったと。
ただし、下宿先に虱が出たときに下宿先のおばさんがどこからともなくDDTを持ってきて、祖母の頭にもかけられたようで、その時の話を延々とされました(笑)。
投稿: 爺 | 2010年10月12日 19:01
爺 さん:
>学校で強制的にDDTをかけられたことはなかったそうです。
>頭に虱がいる人は何人もいたが、学校としてどうこうすることはなかったと。
さすが官軍の中の官軍。
私たちの世代では、頭にシラミのいる子なんて全然いなかったのに、それでも DDT まみれにされました。
>ただし、下宿先に虱が出たときに下宿先のおばさんがどこからともなくDDTを持ってきて、祖母の頭にもかけられたようで、その時の話を延々とされました(笑)。
下宿のおばさんは、地上最強の生き物ですね (^o^)
投稿: tak | 2010年10月12日 22:23
おはようございます~私は1941年生まれです。
DDTの件ですが~私は小学校を4つ転校しました。
静岡県の小学校では全員強制的にDDTを頭にふりかけられましたよ~
投稿: tokiko68 | 2010年10月13日 08:07
tokiko68 さん:
>静岡県の小学校では全員強制的にDDTを頭にふりかけられましたよ~
おぉ、同じ静岡県でも、浜松とは違うみたいですね。
これで、賊軍ばかりではないという反証が得られて、ホッとしました (^o^)
投稿: tak | 2010年10月13日 10:39
初めまして、私は昭和16年生れですが、戦後帰還兵の頭にノミ虱、傷口にハエの子のウジが発生する為復員船にて上陸前に駆除が行われた事実です、当時は医療環境が悪い為、DDTと言う殺虫剤を体に振りかけて防疫に使われた過去が有る訳で現在で解釈すると無知其の物です、其れ以後はヨードチンキと言う劇物で殺菌消毒が一般家庭で行われ後、オキシュフルで主に傷口の消毒が成されましたが、DDTは主に農家の菜園で昭和35年当時迄使われて、BHC、DDTは有害性が高く使用禁止薬物に指定され使わない事に成りました。
投稿: john alexander | 2017年4月25日 15:03
john alexander さん;
>現在で解釈すると無知其の物です
現在の考えで解釈しているわけではなく、それどころか、文中からリンクする過去記事では、
>よく調べてみると、DDT の毒性というのは、印象ほどには強いものではないらしい。そりゃ、体にいいわけはないが、Wikipedia には "一時期、極めて危険な発癌物質であると評価されていたが国際がん研究機関発がん性評価ではグループ2Bの「人に対して発がん性が有るかもしれない物質」に分類されている" と記述されている。
>このページにはまた、"DDT にかわる農薬 (パラチオンなど) は、食べても死なない DDT に比べて圧倒的に毒性が強く、それによる死者や被害者は DDT を圧倒的に上回る。DDT の禁止は、危険な農薬による被害を多数発生させる結果になった" とある。
と触れています。複雑な思いのする記述ではありますが。
投稿: tak | 2017年4月25日 20:17