カレーと日本の変わり目
とくに理由はないが、今日はカレーの話である。
カレーといえば、日本においてはラーメンと並ぶ国民食である。そして、ラーメンがどちらかといえば「外メシ」であるのに対し、カレーは「内メシ」である。家で食うラーメンといえば圧倒的にインスタントかカップラーメンで、外で食うカレーは「ココイチ」以外にメジャーなチェーンを挙げにくいということをとっても、この傾向は明確だ。
ところで、私の育った庄内では昭和 30年代半ばまで、カレーは贅沢な食べ物だった。子供はカレーが大好きだったが、それは誕生日のご馳走としてでもなければ食べられないものだったのである。友達の誕生会に行けば決まってカレーを食べさせてもらえたし、自分の誕生会のご馳走も、お約束のごとくカレーだった。
子どもたちは「ハレの料理」としてのカレーを 2杯はおかわりしながら、大喜びで堪能していたのである。
ところが、東京オリンピックの直前あたり、つまり昭和 37~38年頃から、なんだか様相が変わってきた。それまでは、カレー・パウダーを使って煮込んでいたのだが、この頃から、チョコレートの分厚いのみたいな、いわゆる「カレー・ルウ」なるものが登場し、簡単に作れるようになった。
そして、あんなに特別のご馳走だったものが、1週間に 1度ぐらいのペースで食卓に登場するようになると、私の年代の子どもたちは、なんだか気が抜けたような思いにとらわれた。病気にでもならなければ食べられなかった高級果物のバナナが、急に一番安物の果物に成り下がったのと同じ感覚が、カレーライスにはつきまとっているのである。
ちなみに、高校を卒業して上京すると、首都圏で育った同年代の連中は、かなり幼い頃からカレーが日常食だったと言うのである。ああ、やっぱり庄内は陸の孤島だったのだ。陸の孤島であったおかげで、今なおおいしい食材が生き残っていて、食の王国と化している。何が幸いするか分からない。
思えば、昭和 30年代後半というのは、日本が高度成長期にさしかかる頃で、生活全般が劇的に変わる時代だった。馬車がオート三輪を経て車に代わり、ラジオがテレビに代わった。
学校では 月に 2度ぐらい、保健所の職員が来て全校生徒に DDT を振りかけていたのだが、いつの間にか 「DDT は有害」 ということになってぱったりと止んだ。
これもまた、首都圏育ちの同年代の人間に聞いても、「DDT なんて乱暴なものを振りかけられたことなんて、一度もない」 という。同年代どころか、4~5年歳上に聞いても 「生身の人間に DDT を振りかけるなんて、終戦直後じゃあるまいし」 と呆れられる。
ああ、私が還暦前のくせに、時々妙に年寄りじみたことを言い出してびっくりされるのは、無理もないのだ。都会と庄内のタイムラグは、感覚的には 5年以上あるみたいなのである。だから、私が還暦過ぎのじじいみたいなことを言い出しても、全然不思議じゃないのだよ。
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コメント
「カレー・パウダー」って、きっと、小さな缶のSBカレーでしょうね
DDTの話は、以前にもここで読んで、びっくらしました(笑)
乱暴な話ですね
tak shonaiさん、後遺症はないですか?(笑)
投稿: alex99 | 2010年10月11日 00:28
alex さん:
>「カレー・パウダー」って、きっと、小さな缶のSBカレーでしょうね
そうです、そうです。
多分、今でもあるんでしょうけど。
>DDTの話は、以前にもここで読んで、びっくらしました(笑)
>乱暴な話ですね
そういえば、前に驚かれましたね ^^;)
https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2008/11/post-3303.html
>tak shonaiさん、後遺症はないですか?(笑)
上でリンクした記事にも書きましたが、DDT 自体は、イメージほどの強い毒性はないみたいですよ。
食べても死なないそうですから。
でも、何かの障害は目立たないながらあったのかもしれませんね。
投稿: tak | 2010年10月11日 13:15