「邦楽」と「洋楽」
最近の「洋楽/邦楽」の分類に、違和感ありまくりである。レコードショップに入ると「邦楽」という分類でものすごい数の CD が売られているが、その邦楽というのは、私としては「洋楽」という分類に入れたいものばかりなのだ。
近頃、日本人が作って日本人が歌う楽曲はすべて「邦楽」というジャンルに入れられてしまっている。しかし私にとっての「邦楽」というのは、箏曲とか、長唄とか、文楽とか常磐津とか清元とか、はたまた端唄とか、そういうものなのである。宇多田ヒカルの歌が「邦楽」とは、いくらなんでもおかしい。
私の「邦楽」というもののコンセプトを形成したのは、NHK がかつて放送していた『邦楽百選』という番組である。今はなくなってしまったようだが、この番組では日本の伝統音楽の名曲を紹介してくれていた。その多くは踊りもつけて放映されたので、なかなか風情のあるものだった。
要するに、私にとっての「邦楽」のイメージとは「ツントシャン」という三味線が付くもの(そりゃ、謡曲とか箏曲とか、つかないものもあるが)、ということなのである。いかにも R&B というような曲が、いくら日本人作曲で日本人歌手が歌っていたとしたって、「邦楽」とは言いたくない。
私がかつてギターを弾いてシンガーソングライターをしていたときだって、自分の曲を「邦楽」だなんて思ったことは一度もなかった。むしろ「洋楽」だと思っていた。
ところが今は、私にとっての「邦楽」は「純邦楽」といわれるようになり、私にとっての「日本語の洋楽」が 「邦楽」 になってしまったようなのである。それは「日本語の洋楽」の市場性が広まった結果、それを「邦楽」と呼ぶ方が便利になったからということなのかもしれない。
そしてさらに、いわゆる「純邦楽」の市場性が小さくなってしまったということもあるだろう。昭和 30年代は、普段はポピュラーを歌っている歌手が端唄を歌うなんてことはよくあった。江利チエミが「さのさ」を歌い、美空ひばりが「梅は咲いたか」を歌い、ザ・ピーナッツが「木遣りくづし」を歌っていた。
今の若い歌手で端唄を歌えるのは何人いるだろうか。松浦亜弥は、ちょっと練習すれば多分「かっぽれ」ぐらいすぐに歌えるだろうが、ほかの多くは無理だろう。
自慢じゃないが、私はシカゴ・ブルースも端唄もちゃんと歌いこなせる。端唄の一つや二つ歌えないで、インターナショナルとは言えないだろうよ。インターナショナルとは、「ナショナルがインターしちゃうこと」 だから、無国籍とは違うのだ。
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コメント
はじめましてSennaと申します。
いつも興味深く楽しく拝見させて頂いております。
本日の邦楽・洋楽のお話は、「なるほどーーー」とまさに「目から鱗」のお話だと思いましたので、コメントさせて頂きました。
とは申すものの私自身は音楽に関わったことはないのですがー。。。指が短くギターをあきらめた口です(涙)
投稿: Senna | 2010年11月19日 19:28
Senna さん:
コメント、ありがとうございます。
>指が短くギターをあきらめた口です(涙)
いにしえの寺内タケシの指の短さを知れば、あきらめずに済みますよ。
今からでも遅くありません。
投稿: tak | 2010年11月19日 21:29
見慣れた顔が聞きなれた言語でやってくれた方がいいんだけど、
音楽的には本当は明らかに劣ってるんだと
卑下している風潮があって、
自国のを洋楽と呼びにくいんじゃないですか?
後ろめたさから邦楽というジャンルの意味を
さりげなく挿げ替えて、やっぱり個性だから
これはこれでいいんだよねと落ち着いたんでしょうか。
投稿: えっこにゃん | 2010年11月21日 23:23
えっこにゃん さん:
>見慣れた顔が聞きなれた言語でやってくれた方がいいんだけど、
>音楽的には本当は明らかに劣ってるんだと
>卑下している風潮があって、
>自国のを洋楽と呼びにくいんじゃないですか?
そんなに卑下しなくてもいいレベルのものもあると思うんですがねえ。
これって、映画の世界の 「洋画/邦画」から引きずられてるんじゃないですかという気もします。
邦楽ってのは、単に 「日本語ですよ」ってなことで、洋楽よりハードルが低いよという意味なのかなあと。
投稿: tak | 2010年11月25日 13:51