文体というもの
同じ曲を複数の歌手に歌わせて録音し、それを当の歌った歌手が聞けば自分の歌が一発でわかるのは当たり前だ。しかし、同じ曲を複数のピアニストが演奏して録音し、それをランダムに再生しても、個々のピアニストはどれが自分の演奏か、一発でわかるという。
クラシック音楽にそれほど入れ込んでいるわけではない私には、ピアノ独奏とかオーケストラによる交響曲の違いはよくわからないけれど、弦楽四重奏ぐらいだとかなりわかる。ドイツ人のカルテットとイタリア人のカルテットの演奏を聞き比べると、別の曲じゃないかというぐらい雰囲気が違ったりする。
付き合いのあるカメラマンたちに聞くと、自分の取った写真なら、それについての詳細を忘れていても、「あ、これは自分の写真」というのがすぐにわかるそうだ。同じような場面を撮っても、個々のカメラマンによって雰囲気が少しずつ違うらしい。自分のアングル、自分の露出などがあって、それらの合わせ技で独自のスタイルが形成されるという。
そう言われれば私だって、ずいぶん昔のものでも、自分の書いたテキストならすぐにわかる。自分の文体というのは自分の体みたいなものだから、ほとんど身体感覚としてわかる。
だから、ライターというのは自分の過去のテキストが盗作されているのを見逃さない。内容的なものはほとんど忘れてしまっているようなテキストでも、パクリを目の前にすればすぐにわかる。多少「てにをは」が変えてあっても目はくらまされない。
ジャーナリズムに発表されたものでなくても、例えば業界の報告書などを読むと、過去に私の書いたテキストを誰かさんがレポートの一部にパクってしまっているなんていうのが、たまにある。
狭い業界だから筆者は顔見知りだったりするので、あとでその筆者にやんわりと文句を言うと、「あ、ごめん、すごくよくまとまってるから、引用させてもらっちゃった」 なんて、いけしゃあしゃあと、言い訳にならない言い訳を言う。
引用なら引用で、その旨をしっかりと明らかにすればいいのに、あたかも自分の文章のように書いている。そんなのは引用とは言わない。よくまあそんなことで原稿料もらってるなあと、ちょっとムッとするが、まあ、業界内部で争っても仕方ないから、大抵は穏便に済ませる。穏便に済ませても、そいつは菓子折をもってくるわけでもない。
多分そいつのレポートは、あちこちのテキストのつぎはぎで、要するにパクリの集大成なのだろう。菓子折をもっていくなんてことを考えたら、一体何人にもっていけばいいかわからない。
数年前、ドイツの業界系出版社から、私が以前に書いた業界記事ををドイツ語に訳して掲載したいという依頼があり、私は「どうぞ、どうぞ」と気楽に承諾したまま、そんなことがあったことすら忘れていた。どうせ私はドイツ語がわからないので、その雑誌をもらっても読めないし。
ところが最近、そのドイツ語訳を改めて日本語に訳し直してくれた人があり、それを読んでうなってしまった。意味的には確かに私の書いたままなのだが、文章的にはものすごくコッチンコッチンになって、私の文体からはおよそかけ離れている。まるで学術論文みたいな雰囲気だ。
多分、日本語からドイツ語に訳された時点で少し堅苦しくなり、それを日本語に訳し戻す時に、さらに堅苦しくなったんだろう。いいとか悪いとかいう問題じゃなく、「おもしろいなあ!」と、一人で盛り上がっている。
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コメント
以前、ある映画BBSで、私がトラブルに巻き込まれた時のことです
突然、今まで現れたことのないHNの人が、長々と私への悪口・非難を書いたのです
その文章を読んでみると、なんと、そのBBSの管理人さんの文体そのままなんです
頭隠して、尻隠さず(笑)
「文体というものは、指紋・声紋と同じで、ハッキリ同一人物であると判別できるものです」と、指摘したら、その管理人代理(笑)は、二度と現れませんでした
実際は、文体に癖のある有名作家、例えば、吉田健一や大江健三郎などの文体をちょっとだけ真似することなど、私は、好きなんですが、それは例外・お遊びで、基本的に、文体とはその人の脳内の思考過程を表すものとも言うべきものですよね
音楽でも、同じ事が言えると思うんです
私は、モダンジャズが好きなんですが、テナーサックスのジョーン・コルトレーンの硬質な、しかしちょっとアルトサックス的な音色と、墨痕淋漓と言った印象の、ソニー・ロリンズの音色とは対照的
アルトサックスのジャッキー・マクリーンの音色も独特です
この人達は、とにかく、誰が吹いているのかは、すぐわかります
サックスの場合は、使っているマウスピースのリードが影響する部分もあるんですが
クラシックにおいても、同じベートーベンの「田園」を指揮しても、男性的で筋肉質な印象のフルトベングラーと穏やかなブルーノ・ワルターの指揮では、対照的なのが、私でも(笑)わかります
投稿: alex99 | 2010年11月24日 12:26
alex さん:
文体というのは、体に染みついたもののようですね。
シンフォニーやジャズなんかも、聞けばわかるかな?
機会があれば意識して聞いてみたいと思います。
アパレル業界では、お恥ずかしい話ですがデザインコピーというのがよくあります。
ある日、某中小アパレルメーカーの社長が街で売れ筋商品を買ってきて、それを自社のデザイナーに渡し、「これのコピー商品を作れ」 と命じました。
ところがそのデザイナーが作ったものは、どうしても自分の 「クセ」 が出てしまって、コピーとしては出来損ないにしかならないのでした。
社長は 「プロのデザイナーのくせにコピーもできないのか」 と嘆いていましたが、プロだからこそできないのかなとも思いました。
いずれにしても志の低い話で、私はその社長を軽蔑しました。
投稿: tak | 2010年11月24日 13:05