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2010年11月 2日

ホメオパシーに関する「うじうじ」が晴れた

このところのホメオパシーの一方的な叩かれ方を見るにつけ、なんとなく割り切れない思いがしていた。寄ってたかって 100%インチキみたいに言う世の論調には割り切れない思いがするし、かといって、完全擁護する気にも到底なれない。それに下手なことを書いたら、この趨勢だからブログが炎上しかねない。

こちらは専門知識はないし、試してみたこともないから、当然ながらそれで病気が治ったという経験もない。しかし「ホメオパシーの元々のコンセプトって、予防注射とか、『酒が弱くても、どんどん呑みゃ強くなる』とかいうのと、それほど遠くないんじゃないの?」という私の疑念は強まるばかりだった。、

そんなわけで本当にうじうじしていたのだが、今日、この問題に関してとてもクールに答えてくれているブログ記事が見つかって、それを読んで、私の割り切れない思いがかなり割り切れてしまったのである。それは「安敦誌」というブログの「ホメオパシーについて」という記事だ。

万が一先方に迷惑がかかってしまってはいけないので、一応お断りしておくが、安敦さんはホメオパシーを礼賛しているわけでもなんでもない。「現代のホメオパシーは怪しい雰囲気が満点なのだが、本来はそんなに怪しい考え方ではなかったのではないか」という観点から、非常にクールな見解を述べておられるだけである。

何しろ書き出しが 「しばらく掛かったが、ようやく書く気が起きたネタ」となっているぐらいだから、熟慮に熟慮を重ねた結果の記事と思っていいだろう。それだけに「ホメオパシーは 100%ニセ科学、インチキ!」という考えから少し間をおいて読めば、とても納得しやすい。

なお、ここからは安敦さんの文章からの引用をちりばめて論を展開するが、引用は部分的なものなので、そこだけを取り上げて曲解することのないようにお願いしたい。詳細は、上述のオリジナル記事に飛んで読むことをオススメする。

論の前提としてまず、18世紀末に天然痘ワクチンが開発され、「弱毒化した病原体を健康体の人間に接種することにより、病原性の細菌による感染症に対する防疫を事前に行う」 というコンセプトが成功を収めたという歴史的事例があり、その上で 19世紀初めに、ハーネマンによる 「弱毒投与」 が提唱されたという経緯がある。

当時はまだパスツールによって病原体としての微生物が発見される前だったので、「天然痘に似ているが病原性の少ない病気にかかることで、人体に天然痘に対する抵抗力が生まれる」 という現象面しか分かっていなかった。

(中略)

天然痘以外にもこの拡張されたワクチンの考え方を実験してみようとした医師が現れたとしても自然な流れであるし、この当時としては決して 「トンデモ」 系の発想ではなかったのだろうということがわかる。

発想自体は決して 「トンデモ」 系というわけではなかったということに注目したい。免疫という事実からの発展型アイデアである。また重金属などは別だが、いろいろな毒性に対する耐性が、少しずつ摂取することで強まることがあるのは、経験的にも知られている。酒もどんどん呑みゃ、少しは強くなるみたいなことだ。

しかし、このハーネマンの 「弱毒投与」 は、ワクチンほどには劇的な効果がなかったので、次第に医学の本流から外れ、ホメオパシーという民間療法として、非科学的な方向に発展を遂げてしまった。それについては、安敦さんも次のように指摘している。

本来的に考えれば、ホメオパシーというのは健康な人間が予防的に取り組むべき医療だったはずだが、現代日本で観察されるホメオパシーの実践方法によると、
熱が出てからレメディを飲んで 「治療」 したり、生まれたばかりで一番弱いはずの新生児にビタミンの代わりにレメディを飲ませたりして、理屈からしても妙な
ことになっている。

考慮すべきことは、ほとんど全ての療法には「トレードオフ」があるということだ。いいこともあるが、それにともなって少しは不都合なことも生じるが、まあ、全体として改善すればいいので、少々の不都合には目をつむろうということだ。「あちら立てればこちらが立たず」だが、まあ、この際だからあっちの方を立てることを優先しようってなもんである。

酒に強くなりたくて意識して呑み続ければ、少しは効果があるだろうが、肝臓は少しずつダメージを被るというようなものだ。さらに西洋医学にだって副作用ってものがある。このことを踏まえ、安敦さんは以下のように指摘されている。

一般市民の中にはトレードオフの考え方がなく、白か黒かの極端な判断をしてしまって問題をこじらせているようにも見える。そういう一般知識に近い人々によって運用されているだろう療法が現代のホメオパシーで、そのためにいろいろな問題が発生しているように見える。

こう指摘した上で、次のように書かれている。

善か悪か、真実か虚偽か。そういう白黒判断は強力な道具で、複雑なトレードオフを吟味すると、結果的には単なる優柔不断に陥ってしまう場合もある。それでもやはり、キレの良すぎる一刀両断の意見には、いつも違和感を持ってしまう。

この「違和感」は、私がいろいろな問題で感じるのとかなり近いような気がするのである。私は病気が治りさえすれば、西洋医学だろうが、漢方だろうが、鍼灸だろうが、ホメオパシーだろうが、まじないだろうが、何でもいいという考え方である。世の中には、まじないで病気が治ってしまったという人だっている。要は結果オーライだ。

そう言いっぱなしだと炎上しかねないので、念のため「病気が治りさえすれば」という前提を強調しておきたい。治らなかったり、かえって悪化したりしたら、そりゃやっぱり困るので。

ホメオパシーやまじないは、最初に頼る療法としては考えない方がいいだろうが、あらゆる手を尽くしても治らずに医者にも見放された不治の病人が、最後の最後にまじないやホメオパシーに頼りたいと言ったら、無理に止める理由はない。多分それでも治らないだろうし、死期を早めることにもなるだろうが、心安らかに死ぬことはできるかもしれない。

そして、もしかして奇跡的にそれで治ったとしても、他の人にまでは薦めない方がいいとまで、念のために言っておく。

【追記】

なんか、あちこちで繰り返し書かれている現代科学の視点からの見解をコメントで教示してくださる親切な方がいらっしゃるので、上記の本文で書き足りなかったことを補足しておきたい。

私としては、あんまり当たり前すぎることなのであえて触れなかったのだが、やっぱり一応触れておかないと、私自身が無知なホメオパシー信者という誤解を受けてしまいかねないので、恐縮だが、長々と追記させていただく。

上記で「病気が治りさえすれば」ホメオパシーでもまじないでもいいと書いたが、いくら私でも、もし治ったとしてもそれはプラシーボであって、まじないやホメオパシーそのものの効果ではないということぐらいわかっているので、ご安心いただきたい。

現代科学の見解でも 「ホメオパシーにはプラシーボ以上の効果はない」とわかっている。しかし、それは逆に言えば「プラシーボ程度の効果はあるかも」ということで、プラシーボで病気が治ることもあるということは、現代医学も否定していない。

しかしだからといって、そのプラシーボ効果に積極的に期待してもしょうがないということも、またホメオパシーにはプラシーボ効果以上の危険性もあるということもちゃんと理解しているので、さらにご安心いただきたい。だから、馬鹿なホメオパシー信者に、現代科学の見解を基礎から教えてやろうなんて親切心は無用である。

いくらなんでもそのくらいの基本事項はおさえておかないと、ホメオパシーに関する記事なんて、怖くて書けない。それを無視してノー天気な「ニセ科学批判批判」記事を書いてしまうほど、エキセントリックというわけじゃない。

この記事では、それほど「トンデモ」系ではなかったと思われるホメオパシーの初期のコンセプトは、ずいぶんいびつで不幸な形で発展してしまったのではないか、むしろ、別の発展の仕方をすべきだったんじゃなかろうかということを読みとっていただければ幸いだ。それは、現代の 「免疫学」 とかなりかぶってしまうことになる可能性が大きいと思うが、それ以上の広がりも期待できると思う。

 

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コメント

ホメオパシーの最大の問題点は、名前がおもしろいことです。
ふざけてるとしか思えません。

というのは冗談ですが、ホメオパシーのキモは、
「治るか、治らないか」ではなく、
「治るか、悪くなるか」であるように思います。
要するに、運用する上でリスクがでかすぎる。

そうなると、「科学」の側からすれば、完全否定しないわけにはいきますまい。
危険ですし。

投稿: キセ | 2010年11月 2日 19:14

キセ さん:

>ホメオパシーのキモは、
>「治るか、治らないか」ではなく、
>「治るか、悪くなるか」であるように思います。
>要するに、運用する上でリスクがでかすぎる。

実は私も、現代のホメオパシー理論では、
「治るか、悪くなるか」 以上に、
「治らないか、悪くなるか」 だとまで考えています。

ですから、ホメオパシーで病気を治そうとは思いません。

いかに希釈しようと毒を飲む気にはなれないし、「水の記憶」 とやらにいたっては、ばかげているとまで思っています。

しかし、妙に怪しすぎる理論に至る前の、初期の思想に立ち返っての 「健康食」 みたいな可能性ならあるんじゃないかとは考えています。

初期のコンセプトは、別の発展の仕方があったんじゃなかろうかと。

投稿: tak | 2010年11月 2日 19:45

ホメオパシーは現在の標準医療を明確に否定しており、
それがホメオパシーの構成要素ひとつになっています。
参考
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090201
「レメディは効く」ではなく
「レメディがあれば普通の医療はいらない」が
ホメオパシーという療法の総体なのです。
もし、患者さんがそれを信じて必要な治療を受けなかったら助かったはずの命が助からない悲劇もあり得ます。
というか、実際にありましたね。

>「病気が治りさえすれば」
ホメオパシーを批判している人たちは「まさに」この考えを大事にしてるんです。
だからこその批判なんです。

薬が効く理由はともかく実際に試して何割ぐらいの患者さんがよくなったかを記録して一番効いたやり方をよしとする考え方です。
元が漢方だろうと何だろうと実際に試して効くなら
正式な医療として認めています。(現に)
参考
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20100928
このような考えは「根拠に基づく医療」と呼ばれています。

過去にホメオパシーの効き具合を試した研究がありましたが、
結果はプラシーボ効果以上の効果はないという結果でした。
http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20100223#p2
他の代替医療と比較してことホメオパシーについては
「効くかどうかわからない」のではなく、
「効かないことがわかっている」ということなのです。

これらの2点、(ホメオパシーの反科学性・根拠に基づく医療の尊重)を踏まえていただくとホメオパシーを強く批判している人達が
狭い視野で批判しているわけではないことはわかってもらえると思います。

投稿: ぞん | 2010年11月 2日 21:09

ぞん さん:

おっしゃることはすべて踏まえて書いているつもりです。

ですから、病気を治す医療とされている現在のホメオパシーは、私も認めておりません。
「まじない」と同程度のものと思っています。

ただ、まじないで治ることも稀にあるなら、ホメオパシーで治ることも稀にある (実際にはプラシーボなのですが) ということで、「治ったんなら、それで OK。よかったね。ただし、人にまで薦めないでね」 という立場です。

投稿: tak | 2010年11月 2日 23:26

 ホメオパシーに免疫効果とか、順応効果みたいなものは期待できません。いわゆるレメディって奴には元の物質は一分子も含まれてないと言っていいから。

 ハーネマンの時代には物質は際限なく細分化できると考えられていたのでしかたないかもしれませんが、今では分子という最小単位が解ってます。
 で、それなら分子数十個とかいうレベルで残ってそうな希釈度にするってんなら話もわかりますが、「いや分子は残って無くとも・・・」てな感じで「水の記憶」みたいなもんにすり寄っていくんですから救いようがありません。

http://www.jpsh.org/homeopathy_about02.html
>現代科学では、アボガドロ定数を超える12c、つまり10の24乗の希釈の段階では物質の最小単位である分子が存在しないと考えられている。そのため、ホメオパシーの作用機序については、まだ科学的には解明されていない。しかし、そのヒントになるような研究は行われている。

自分でもわかってるようだし。ヒントになるような研究ってのも「水の記憶」とかじゃないのかな?


 荒らすつもりとかはありませんが、おそらくは最初にした勘違いであろうものをそのままにしていらっしゃるようなので。

投稿: セン | 2010年11月 2日 23:37

セン さん:

>ホメオパシーに免疫効果とか、順応効果みたいなものは期待できません。いわゆるレメディって奴には元の物質は一分子も含まれてないと言っていいから。

その辺も、わかって言っています。
それはキセさんのコメントへのレスで書いたとおりです。

ですから、何度も言いますが、ホメオパシーの初期のコンセプトは別の発展の仕方をすべきだったと思っているということです。

投稿: tak | 2010年11月 3日 00:02

 なんとなーくだけど、わかります。「病を飼いならす」ってことですよね。
 たとえ悪いかもですけど、反社会勢力に対抗するためにあえてその反社会勢力と一定のパイプを持つ警察、みたいな。「風邪をよくひくから大病にからない」とか「昔の子供は腹に寄生虫を飼っていたからアレルギーにならなかった」とかの類の話もこれかな。
 病気ってのは天気みたいなものなのかなと思ったりもします。必ずしも異常で異質で排除・根絶すべきものでなく、あくまで肉体の現在の状態に過ぎないというか。
 猛暑だ厳冬だ大雨だ日照りだとその時はそれを異常なことととらえるかもしれないけれども、数年単位でみた時はバランスが取れてたりするように、なんでもかんでも病気に対して「とにかく異常だから正常化させよう」と、対処的に投薬するのでなく、長いスパンで病というリスクをトータルマネジメントする考え方、時には、長い目で見て健康であるために、多少の病(――時々の風邪とか腹痛くらい)は甘受しなくちゃならないのかなと考えたりもします。
 とはいえそんなモノの考え方に大金を支払う必要なんてないわけで、もちろん、いまあるホメオパシー関連の団体はいかがわしいオカルト集団だと思うし(――死病に冒された人の救い、という考えもあるのかもしれませんが)、身内にレメディに大金支払ったりする人がいたら、即刻やめさせるようにしますけどもね。

投稿: まこりん | 2010年11月 3日 05:03

まこりん さん:

>たとえ悪いかもですけど、反社会勢力に対抗するためにあえてその反社会勢力と一定のパイプを持つ警察、みたいな。

確かにたとえ悪いけど、言えてるかもしれませんね ^^;)

>病気ってのは天気みたいなものなのかなと思ったりもします。必ずしも異常で異質で排除・根絶すべきものでなく、あくまで肉体の現在の状態に過ぎないというか。

この考え方、このブログのサイドバーで紹介してる 『感染症は在しない―構造構成的感染症学』 (岩田 健太郎・著) と共通してるかも。

当ブログでも書いています。

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2010/03/post-10fb.html

>とはいえそんなモノの考え方に大金を支払う必要なんてないわけで、もちろん、いまあるホメオパシー関連の団体はいかがわしいオカルト集団だと思うし(―― 死病に冒された人の救い、という考えもあるのかもしれませんが)、身内にレメディに大金支払ったりする人がいたら、即刻やめさせるようにしますけどもね。

この 「レメディ」 ってものに関しては、私としては、その辺のホメオパシー攻撃者以上に、攻撃したいという気すらあるんですよ。実は。

初期のまんざら 「トンデモ」 というわけではなかったコンセプトを 「レメディ」 なんて怪しすぎるものに収束させていることが、現在のホメオパシーの最大の問題でしょう。

投稿: tak | 2010年11月 3日 12:55

>別の発展の仕方をすべき
それが、現代医学なんじゃないかと思うんですが……

結局、ホメオパシーの理論には科学的な正当性が認められないことがわかったわけで。

「科学にもとづく医学」はなにもホメオパシーをどうしても残すべき、なんて固執する理由はないから、医学全体が発展した結果、無駄な即枝が刈り取られただけの結果に思います。
瀉血なんかと同じことでしょう。

投稿: ねねこ。 | 2010年11月 3日 17:25

ねねこ。さん:

>>別の発展の仕方をすべき
>それが、現代医学なんじゃないかと思うんですが……

まあ、そういうこととお考えになりたいなら、それでもいいです。

私としては、いわゆる現代医学よりもう少し幅のある考え方をしたいんですが、それについてはそのうち書きたいと思います。

投稿: tak | 2010年11月 3日 20:17

こういうのもありますね。
ドイツにおける「別の発展」:

http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20100811#p1

日本における漢方みたいな感じというか。
>ホメオパシーに関連するドイツの記事などを眺めていると、
>現代医学を極力排除しようとするラジカルなハイルプラ

>ティカーもやはりいるようで、これは悪い行いであると一般
>に認識されている。このあたりのラジカルなフラクションに
>よる著作、治療方針が偏って日本に輸出されているのかもし
>れない。

投稿: Cru | 2010年11月 3日 23:07

Cru さん:

貴重な情報、ありがとうございます。

薄々というより、もろに感じていましたが、日本のホメオパシーの主流は、どうやらエクストリームのようですね。

それで当然のこととして、ホメオパシー批判もエクストリーム寄りにならざるをえないと。

世界的には (あるいは 「国際慣用的には」 と言い直してもいいですが)、もっと広いというか、ゆるやかな意味で使われているんじゃないかという印象をもっていました。
(それで 「うじうじ」 してたわけですが ^^;)

投稿: tak | 2010年11月 4日 00:53

ホメパシーの件に関して先日の報道以降、それ以前は明らかな信者や商売の方々以外にも、消極的に擁護する、というか、バッシングへの批判が諸所で散見されるのですね。
それも、どういうわけか、takさまはじめ、理知的な方々から。
「呪いでも本人が満足ならそれでいいじゃない」ていうような意見を、いつもならそういうオカルトを批判なさるはずの方々が書いているのを何件か見ました。
それが、もっと以前からホメオパシーを否定的に見ていたし、ペットコミュなんかで布教してる信者を目にしたりしていた私からすると、まるで悪しき相対主義のように見えて、戸惑いを覚えるのです。
それはたぶん、自分達のほうがこの問題については以前から知ってて詳しいという自負に由来するのだと思います。


>「他の人にまでは薦めない方がいい」
今現在、ホメオパシーが批判されてるのは、まさにこの点なのですよ。
先の学術会議の談話にしても。
明らかに、他人の健康に対して責任を負うべき立場の人、医療従事者や親や飼い主などが被保護者に使って、それをブログなどで宣伝してるゆえに批判されてるわけです。
で、その批判の論拠としては、やっぱり、客観的な、科学的なエビデンスしかないわけで……(だって主観的に、私が嫌いだからダメ、ってんじゃなんの論拠にもならないですし)

>現代医学よりもう少し幅のある考え方
というのがどういうのを指しているのか……
現代医学自体、かなり幅が広いと思うので。

投稿: ねねこ。 | 2010年11月 4日 23:27

ねねこ。さん:

う~ん、バッシングへの違和感表明が 「消極的擁護」 であると受け取られるあたりが、まさに 「違和感」 なのですよ。

私、全然擁護していませんから。(というか、今のホメオパシーにははっきり批判的ですから)

じゃあ、違和感表明なんかするなと言われても困るところで、「違和感」 の源は、ホメオパシーそのものじゃなくて、白か黒かでなければ気が済まないという方法論みたいなところなんですよね。

ただ、ねねこ。さんは、そのあたりはかなり柔軟なものの考え方をされる方のようなので、コメントをお読みする限り、あまり違和感を感じないということは、表明させていただきます。

ということは、もしかしたらニセ科学批判のトーンを落とすことが、ニセ科学批判批判を減らすことにつながるというパラドックスが生じるかもしれませんね。

(こんなことを言うと、またいろいろ言われかねませんが ^^;)

>現代医学自体、かなり幅が広いと思うので。

う~ん、私は現代医学というものがそれほど幅が広いとは見ていないのですが、これ以上言っても水掛け論になりそうですので、止めときます。

ただ、総論としての基本理念ではいろいろ認めているようでも、各論的な運用面になると、権威主義とか、人間関係とか、力関係とか、既得権とか、お金の問題とか、いろいろとぐろ巻いているので、なかなか大変そうだなあと。

その辺は、日本ホメオパシー医学協会も、「患者が現代医学を選択したいというならそれを制限しない」 みたいなことを言いながら、実は運用面でいろいろぐじゃぐじゃしてるというのもあって、困ったものですが。

とはいえ、現代医学側 (の基本理念ではなく、あくまで現状) が、初期のホメオパシーが本来目指していたであろうコンセプトまでかなり大胆に取り入れつつあるように見える、つまり、確かに幅が広がりつつあるように見えるのは、喜ばしいことだと思っていますよ。

ホメオパシーより確かに、一枚も二枚も上だなと。(そりゃ、当たり前ですが)

私のかかりつけのお医者さん (と言っても、1年に 1度ぐらいしかかかりませんがね) も、かなりそっち寄りだし (ホメオパスじゃないですよ ^^;)

ちょっと上の cru さんの紹介してくれたページで、

>ホメメオパシーという言葉は、ドイツで日常的に聞く。「あそこの医者はホメオパシー寄りなので、抗生物質をなかなか出さない良心的な医者だ」といったような感じで使われる。そんなわけで、私は自然治癒を尊重した治療方針をホメオパシーと呼ぶのかな(字義から、病気寄り、と私は解釈していた)、となんとなく思っていただけだった。

と言及されているようなタイプのお医者さんです。とはいえ、彼も必要とあれば抗生物質を処方するのに、躊躇しませんがね。

ただ、彼は一般のお医者さんの世界では、結構変わり者と思われてるんだろうなあという感じです。

私としては、ああいうタイプのお医者さんがもっと増えればいいのにと思っています。

投稿: tak | 2010年11月 5日 15:29

擁護しているだろ。次から次へとあぶり出されてくるな。

投稿: 明らかに | 2010年11月28日 22:27

明らかに さん:

は?

投稿: tak | 2010年11月29日 00:00

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庄内拓明さんのホメオパシーに関する 「うじうじ」 が晴れたと云うエントリを読んだ。 いや、庄内さんのお書きのことについては以前こっちやこっちで言及したことがあって、その際にだいぶ気分を害されたようだったので、ちょっと気がひけるのだけれど(でもまぁうちが言及したぐらいで炎上したりはしないのでだいじょうぶか)。 ... [続きを読む]

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