物語としての「忠臣蔵」と、史実としての「赤穂事件」
12月 14日は忠臣蔵の討ち入りの日である。「時は元禄十五年十二月十四日……」で始まる三波春夫の名調子が思い起こされる。さらに歌舞伎ファンの私としては、『仮名手本忠臣蔵』という芝居は何度も見ていて、お馴染みである。
しかし歌舞伎の忠臣蔵は史実としての赤穂事件ではなく、めちゃくちゃ脚色されている。なにしろ浅野内匠頭と吉良上野介が、歌舞伎では「塩冶判官(えんやはんがん)」と 「高師直(こうのもろなお)」という太平記に登場する人物に変換されてしまっている。大石内蔵助にしても同様で、「大星由良助(おおぼしゆらのすけ)」になっている。
これは歌舞伎や文楽が大きな庶民娯楽であった江戸時代に、コンテンポラリーな事件をそのまま芝居にすることは御法度だったことによる。だから、元禄の御代にあった赤穂浪士の討ち入り事件を、「いえいえ、これは太平記の時代のお話です」という建て前で演じたのだ。それで登場人物も、太平記の人物でそれらしき人に当てはめている。
だから、歌舞伎ファンの私が『仮名手本忠臣蔵』の芝居でお馴染みの数々のエピソードは、史実からかなりかけ離れている。つまり、私は忠臣蔵についてはずいぶんよく知っているつもりになっているが、史実としてのしての「赤穂事件」(歴史家はこう呼ぶらしい)については、ほとんど何も知らないのと同じなのだ。
芝居では吉良上野介になぞらえられる高師直が、浅野内匠頭になぞらえられる塩冶判官(ああ、ややこしい)の奥方である顔世御前(かおよごぜん)に横恋慕したことになっているが、史実としてはそんなはずはない。吉良上野介は浅野内匠頭の奥方とは一面識もないはずである。
これは高師直をいかにも意地悪で助平爺の悪役に仕立て上げるための脚色である。ところが実際の吉良上野介は、むしろ善政をしいた名君であったという説もある。
さらにお軽と勘平の悲恋や、祇園一力茶屋でのお軽と由良助の一幕など、見所一杯のエピソードはほとんど作り話であるようだ。ところが芝居好きは、そうした作り話をいかにも本当にあったことのようにすら思わせられる至芸によって、うそもまこともなく体の中にしみこませられてしまっている。
これこそがまさに「物語の力」というもので、時には史実以上のリアリティをもって我々に迫ってくる。リアリティ(真実)と ファクト(事実)は、同じようでいて同じではない。人間の方がどんな思いで受け取るかにかかっている。
一昨日の日曜日、TBS ラジオの夜の番組 「ミミガク」で、忠臣蔵が取り上げられていた。ゲストは、東京大学大学院情報学環教授・文学博士の山本博文氏。「忠臣蔵のことが面白いほどわかる本」 (中経出版) の著者である。
山本氏のおっしゃるには、史実としての赤穂浪士たちの手紙などを検証しても、主君への「忠義」ということにはほとんど触れていないらしい。それでは何のために吉良邸に討ち入ったのか。それは「武士としての大義」に忠実に生きようとしたからだという。
「忠義」よりも「武士としての大義」であり、それはほとんど「人としての大義」であったとも指摘される。それだからこそ、形の上では重大犯罪である討ち入り事件が、幕府内部でも暗黙の共感を呼び、打ち首ではなく、武士の大義を重んじる切腹で済まされたというのだ。
詳しくは著書をご覧いただくとして、物語としての忠臣蔵にどっぷりと浸っていた私にとっては、なかなかおもしろい指摘だった。
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コメント
中央義士会とかいう団体が「忠臣蔵検定」というのを実施していますが、問題の範囲は「史実のみ」なんだそうです。何が面白いんだかわかりません。
史実のみというなら、「忠臣蔵」はおかしいだろう。親の代からの「忠臣蔵オタク」で、土屋主税が大好きな私ですが、受験する気になりません。
投稿: あかなめい | 2010年12月14日 15:52
江戸幕府の隠密が赤穂に潜入して調査した結果を江戸に報告していますが、それによれば、浅野内匠頭は女狂いのバカ殿で、家老大石内蔵助はその殿に忠告もしない無能な家老
浅野内匠頭の叔父が、やはり殿中で刃傷沙汰を起こしているので、どうも家系の精神科的な疾患が原因ではないかとの説があります
浪士が仇討ちをした動機ですが、自分達は切腹になろうとも、義士になれば家族親戚が他藩に雇用されることを期待したという説もあります
そういう実績もあるようです
幕府ははじめ、浪士達を斬首しようとしたが、世論に押されて切腹させ、吉良家を廃絶させたようです
吉良上野介は、実説では炭小屋に隠れたりせず、有閑に斬り合って殺されたとのこと
いろいろな説がある、謎の多い事件だったようです
私個人としては、忠臣蔵が嫌いです
どうしても、理不尽なテロ事件と、現代的な視点で見てしまうので
投稿: alex99 | 2010年12月14日 16:23
あかなめい さん:
>中央義士会とかいう団体が「忠臣蔵検定」というのを実施していますが、問題の範囲は「史実のみ」なんだそうです。何が面白いんだかわかりません。
史実は史実として、おもしろがるひともいるんでしょうが、それなら「赤穂事件検定」としてもらいたかったですね。
私は、外伝としては松浦のお殿様と大高源吾のエピソード「松浦の太鼓」が大好きです。
これも中村屋の芸がいいせいなんでしょうけどね。
投稿: tak | 2010年12月15日 10:09
alex さん:
赤穂事件を現代の価値観でみれば、いろいろな解釈ができるでしょう。
そうした解釈をする楽しみもありますが、私としては、「物語の忠臣蔵」をしっかりと楽しみたいと思っています。
>幕府ははじめ、浪士達を斬首しようとしたが、世論に押されて切腹させ、吉良家を廃絶させたようです
筋からいえば当然斬首に値する極悪事件ですが、なぜか幕府内部でも妙な共感があり、切腹に落ち着いたというのが本当のところのようです。
その背景には、これを杓子定規に極悪事件としてしまうと、幕藩体制の存立基盤である「忠義」(命をかけて主君に忠誠を尽くす)が否定されてしまうことをおそれたということもあるようです。
投稿: tak | 2010年12月15日 10:16