たいやきくんは、幸いなのか、不憫なのか
先日、ラジオから 「およげ! たいやきくん」 が流れてきたので、ふとくだらないことを思い出した。この歌が流行ったのは 1975年、私が大学生だった頃の話である。この歌は大ヒットして、街を歩けばこの歌の聞こえてこない日はなかった。
レコード・CD の売上げはオリコン調べで 450万枚、一説には 500万枚以上売れているという、シングル版としては日本で一番売れた曲だ。こんなに売れたのに、歌手の子門真人は買取契約しか交わしていなかったために、歌唱印税が全然入らなかったというのも、知る人ぞ知るエピソードである。
この頃、私は大学を留年して、しかも残った単位はほんのわずかだったので、ほとんど一年中アルバイトと、音楽や演劇活動をしていた。本当に浮世離れした生活をしていたのである。海に飛び込むほどの喧嘩をする相手もなく、やりたいことだけをやりたいようにやって、金がないことをのぞけばストレスとは無縁の生活をしていた。
それだけに、身から出たさびで、やがて海の中でふやけて溶けてしまうであろうたいやきくんが、不憫でしょうがなかった。そして、そのうち自分も喧嘩したら海に飛び込んで溶けてしまうしかないような、ストレスに満ちた浮き世に出て行かなければならないかもしれないと思い、それもまた不憫だった。
しかしこの歌を最後まで聴いていると、たいやきくんは海の中で溶ける前に、おじさんに釣り上げられ、食べられてしまうのである。これはふやけて溶けてしまうよりずっと幸いなことだったろう。
そしてあれから 35年以上経った今でも、たいやきくんの歌は時々ラジオから流れてくる。まるでたいやきくんは一匹ではなく、次から次に海に飛び込み、そして釣り上げられ、食べられてしまっているようなのだ。これが幸いなことなのか、あるいは延々と続く不憫なのか、判断に戸惑うところである。
さらに自分自身としても、海に飛び込むほどではないが、ストレスに満ちた浮き世をなんとか漂流して溶けて流されずに済んでいることが、幸いなのか、あるいはまた、延々と続く不憫なのか、判断が難しい。
しかし、どうせ難しくて判断がつかないのなら、無理矢理にでも「幸い」と思いこむ方がいいと思っている。多分、それが正解なのだろう。
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