不老長寿なんて求めない時代
今日は、昨日の記事の続編みたいなものである。先日、高校の同級生で関東在住の有志が集まって、小さな新年会をした。集まったのは 8名ほどで、全員同い年だから、来年は次々に還暦になる。しかしどう見ても還暦近い年には見えない。みんな元気でぴんぴんしている。まだ定年前だし。
「昔の還暦といったら、腰も曲がって、本当にじいさんばあさんに見えたけどなあ」と、皆が言う。「自分が還暦近くなっても、昔の 50歳のおっさんよりまだ若い気がする。同じ年齢でも、昔と比べて肉体的にも精神的にも 10歳は若いね」
こう言えるほどの健康というのは、ありがたいことである。ただ、ここまではいいのだが、そこから先が問題だ。
「しかし、考えてもみろよ。平均余命からいうと、俺たちまだ少なくとも 20年は生きなきゃいけないんだぜ」
「お互いこんなに元気なんだから、80歳までに死ぬ確率って案外低そうだね」
「若死にする人って、還暦前に死んじゃう。還暦を無事に越えたら、そこから先は長いよ」
「ひぇ~! そりゃ、困るわ」
こんな具合で現代の日本人にとっては、死ぬことにではなく、生き続けることへの不安の方が大きいようなのだ。
「20年どころか、30年生きるってこともあるだろうし、下手すると 100歳越えるってことも覚悟しなきゃね。年金がちゃんともらえるかどうかもわからないのに」
「イヤだなあ、勘弁して欲しいなあ。あんまり長生きしたくないなあ」
「医学の発達って、ここまできたら余計なお世話だよね。ますます死ねなくなっちゃう」
この日集まった中では、無邪気に「長生きしたい」なんていう者は一人もいなかったのである。人生の区切りがついたところで、うまい具合にころりと死ぬのが一番望ましいと、みんな思っている。不老長寿が最大の幸福だなんて思われていた古き良き時代は、とっくに過ぎ去ったのだ。
還暦目前の世代がそんな風に思っているのはまだいい。問題なのは 20代や 30代の若年層の失業者たちだ。
収入も財産もなく、とくにやりたいこととてなく、かといって、飢えから逃れるために必死で働かなければならないというわけでもない。ただ無為に暮らしているだけというなら、「このまま、あと 50年も 60年も生きなきゃいけないのか」と、絶望的な気持ちになるのも無理もない。彼らの絶望感が世の中をおかしくしている。
政治の力で彼らに希望を与えろなんてことは言わない。希望なんて他から与えられるものではなく、自分で生み出すものだ。ただ、簡単に絶望に追い込むことだけは避けられるような世の中でなければいけない。それなら、政治の力である程度のことまではできる。
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