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2011年2月11日

「エブリデイ・サンデイ」 のニュアンス

会社を定年退職した人と久しぶりに会うと、「今はエブリデイ・サンデイだからね」 なんて決まり文句のような言い方をよくされる。そしてその言い方に二通りのニュアンスがあることに、最近気付いた。

一方は、サラリーマン時代にはやりたくても時間がなくてできなかったことを、今は心おきなくやっていられるので、楽しくてたまらないという話し方である。そうした話し方をする人は例外なく、定年過ぎても元気そうだ。

それとは逆に生気を失ったような顔で、なかば自嘲的に「私はもう、エブリデイ・サンデイだから……」なんてつぶやく人もいる。そうした人と別れるときに振り返って後ろ姿をみると、背中がずいぶん小さくなってしまったように感じられる。サラリーマン時代には仕事の鬼と言われたような人でも、急に老け込んでしまっていたりする。

「エブリデイ・サンデイ」という言い方で、その人の人生観がもろに見えてしまうのだ。

会社を辞めてもやることがいくらでもある、というか、会社を辞めたからこそ、今まで我慢していた本当にやりたいことができると、楽しくてたまらない人がいる一方で、会社から離れてしまうと何もすることがなく、家で邪魔者扱いされているだけという人も、いくらでもいるようなのである。

その中間に、「何もすることがないと、ぼける一方」などと脅かされて、定年過ぎてあわてて第二の人生で夢中になれることを探している人もいる。それが運良く見つかった人はいいが、「今さらねえ」なんて言って、何をやっても興味を持てないという人もいる。そうした人は、実は会社を辞める前からボケが始まっていたんじゃなかろうか。

私は、第二の人生を元気に暮らしている人の方が幸せだなど単純に言うつもりはない。現役の勤め人時代にやることはやったのだから、「後はもういいや」と、早めに老け込んで早めにあの世に行ってしまうのを、「不幸」 の二文字で片付けるのは乱暴すぎるだろう。

長生きして延々と好きなことをするばかりが「幸福な老後」というわけじゃない。現役時代にやることをやったら、さっさとこの世におさらばするというのも、案外幸福なことであるかもしれない。それぞれの人生なのである。

私自身はやりたいことがいっぱいある方の人なのだが、幸か不幸かサラリーマンではないので定年がない。だから一生働き続けながら、その合間に好きなことをしこしことし続けるしかないようなのである。

 

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