« 大相撲の八百長問題について | トップページ | TweetMe の不具合解消 »

2011年2月 3日

相撲の将来 試論

「汝らのうち罪なき者、石もて打て」というのは、聖書の中でもよく知られた言葉の一つである。

当時、姦淫は石打ちの刑に処せられた。姦淫の現場を押さえられた娼婦がイエスの前に連れてこられた時、人々はイエスに「あなたなら、こういう女をどうしますか」と迫った。指で地面に何か書いていたイエスは人々に向かい、「あなたがたの中で罪のない者が、まず最初に石を投げるがよい」と言った。それを聞いた人々は、次々にその場から立ち去った。

八百長問題で揺れる相撲協会だが、八百長を認めたという 3人の力士をどう処分するのか、見ものである。放駒理事長は現役時代「まじめな魁傑」で通っていたから、八百長なんかしなかったかもしれないが、現理事の中に八百長なんて一度もしたことがないと胸を張って言える人が何人いるだろうか。

もし徹底的な調査をして、八百長相撲の経験者は年寄株を持つことができないという規定を作ったら、返上が相次いだ上に買い手もつかず、年寄株の相場は大暴落してしまうかもしれない。

さらに、八百長に手を染めたことのある現役力士は出場停止なんて処分にしたら、力士が足りなくなって、15日間の取り組みが維持できなくなってしまうなんて事態になりかねない。

全力のガチンコ相撲を 15日間続けるのは大変だ。だからどこかで 「阿吽の呼吸」 での互助会的意識が醸造されても不思議ではない。私はそれを責めようとは思わない。ただ「阿吽の呼吸」ならいいが、メールという形で残ってしまったら、それは言い逃れができないではないか。つまらないことをしたものである。

こんな証拠が残ってしまっては、公益法人認可などの問題が出てくる。政府・警察はこの際、相撲協会という組織を見放してしまおうという魂胆なんだろうか。相撲協会の中に色濃く残る「曰く言い難い体質」について、「このまま放っておいたら管轄官庁である文科省に傷が付く」というわけで、こうした荒療治に出たのだろうか。

私個人としては、相撲という「伝統芸能」は、祭祀性の強いものだから、純粋競技という視点でものを言うべきではないと思っている。内部での星のやりとりなども、たまにはあってもいい。さらに横綱に求められるのは「品格」なんてものじゃなく、「神格」であるべきだと思っている。大相撲の本来の最高位は大関であり、横綱は象徴としての特別な存在なのだ。

その意味で、私個人としては、朝青龍を横綱にすべきではなかったと思う。その昔、雷電為右衛門が実力的には飛び抜けていたのに、素行問題で大関止まりだったということがある。朝青龍も雷電のように、「スーパー大関」でいればよかったのだ。そうすれば「品格」 なんて生ぬるい幻想に縛られずに、のびのびと「強さ」だけを発揮できたのである。

しかし今や興業システムとして横綱は、必要不可欠になった。外国人だろうがなんだろうが、横綱にすえないと興業が成立しない。そんなこんなで、相撲は「国技」としての理念と、興業システムとしての実態が乖離しすぎてしまったのである。こうなると修復は効かない。私は大相撲がどのように衰退し、消滅するかに興味がある。

「相撲」というものを残したいなら、部屋制度をボクシングのようなジム制度に改め、純粋競技として再出発すればいい。もちろん財団法人なんてものではなく、単なる利益団体としての「相撲協会」を再結成しての上の話だ。

今のような太った大男の競技ではなく、ウェイト制にして競技性を高める。そして力士もちょんまげなんてしない。あんな前時代的な格好を強制するから、日本人の若者が入ってこないのだ。行司の衣装だって作務衣かジャージでいい。

そして、相撲の中の伝統的部分は「伝統相撲保存会」みたいなものを作って、アトラクションとしてやればいい。横綱は強さにはこだわらず、精進潔斎してひたすら「神格」と「見た目の見事さ」を磨く。そして「型」と「土俵入り」の完成度のみを追求する。つまり純粋に「伝統芸能」に徹する。

今の大相撲は「伝統芸能」でも「スポーツ」でもないところで、妙にうじゃうじゃやってきたから、こんなわけのわからないことになってしまったのである。

 

|

« 大相撲の八百長問題について | トップページ | TweetMe の不具合解消 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんなのはどうでしょう。

力士になるには神主の資格を取ってもらう。
普段は全国の神社でお仕事。小さな神明社とか。
地域の交渉人、祭りを仕切ってもらったり。
町の駐在さんのような、やーさんのような。

10月に出雲に集合、前半に訓練して後半に奉納相撲。
トーナメントで一発勝負。
優勝者には賞金でなく目録。
内容は地域の社屋を直す宮大工の派遣か、祭りのための振興予算を選択。

要するに、興行なんて止めて神事にしてしまう。
横綱になるには神職上位を必須とする。
土俵入りの型だけでは廃れそうなので、年1度の勝負を入れてはどうでしょう。

投稿: vagari | 2011年2月 4日 00:10

vagari さん:

ものすごく名案に思えてしまうので、コワイです ^^;)

>町の駐在さんのような、やーさんのような。

というところが、とくに。

投稿: tak | 2011年2月 4日 11:29

私は、もう、語り尽くしてしまいました(笑)

しかし、協会が解散とか、国技館や資産を取り上げるとか、えらいことになりそうですね
警察、相撲をつぶす気か

あんな身体の若者が失業したら、可哀想

なあなあで、八百長やらしておけばいいのに
私は、そのベースでも、じゅうぶん楽しめますよ

あまり固いことは言いっこ無し!

サンタクロースが居ないことと同じで、八百長なんて、みんな知ってたでしょ

まあ、協会自身が「国技」とか「神事」とか、えらそうに言いすぎたから、こんなことになった(笑)

投稿: alex99 | 2011年2月 4日 15:18

alex さん:

相撲協会が、フツーの団体になって興業収益に応じて税金払えばいいだけのことですね。

その代わり、「国技」 だのなんだのは言いっこなしで。

投稿: tak | 2011年2月 4日 16:27

alexさん

サンタはいるんですってば。
わはは

投稿: きっしー | 2011年2月 4日 18:12

きっしー さん:

>サンタはいるんですってば。

そうそう、それに反応し忘れてた (^o^)

投稿: tak | 2011年2月 4日 22:28

八百万の神にも八百長で奉納相撲。。。まあ、もともとがアバウトな国ですけど。。。

投稿: tomato | 2011年2月 4日 23:47

>alexさん
サンタはいるんですってば。
わはは
ーーーー

きっしーさん

これはこれは、大変な間違いを犯してしまいました(笑)
確かに、サンタはいます(キッパリ)
各方面にご迷惑をかけました(笑)

 <(_ _)>

投稿: alex99 | 2011年2月 5日 09:27

tomato さん:

>八百万の神にも八百長で奉納相撲。。。まあ、もともとがアバウトな国ですけど。。。

八百長というのは、人間世界での感覚であって、八百万の神の世界では、望ましき予定調和であるかもしれず、とやかくいうほどのことじゃないのです (^o^)

秋田魁新報社が、大相撲の秋田巡業中止を発表したそうですが、元々地方巡業なんて、真剣勝負じゃないのに、何を目くじら立てているのか。

大相撲の 「海外公演」 (「公演」ですよ、なにしろ) なんて、すごいですよ。

土俵際まで押し込んでは、逆に海老反りになるほど押し返され、さらに手に汗握る投げの応酬がひとしきりあって、素晴らしくショーアップされた内容。

まるでしょっきり並みです。

投稿: tak | 2011年2月 5日 21:18

alex さん:

>確かに、サンタはいます(キッパリ)
>各方面にご迷惑をかけました(笑)

わかっていただければ、それでけっこうです (^o^)

投稿: tak | 2011年2月 5日 21:19

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 相撲の将来 試論:

» 連日の新作! [花ギフト館のブログ]
花屋のブログ♪ [続きを読む]

受信: 2011年2月 4日 11:13

« 大相撲の八百長問題について | トップページ | TweetMe の不具合解消 »