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2011年3月16日

石原都知事の「天罰」「我欲」という言いがかり

ご当人は謝罪撤回されたそうだが、石原都知事の「天罰」発言に、私は危険な思想を感じている。一度はあれだけ堂々と発言撤回を拒否しながら、間もなくあっさりと妙にステロタイプな言葉で謝罪撤回しているのは、あまりにもヤバかったと気付いて、あわてて選挙対策に走ったとしか思われない。

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まずは当然のことだが、地震は天罰なんかじゃない。それは単に自然現象である。地下や海底で蓄積されたエネルギーが一挙に開放されることによる振動だということは、現代人なら誰でも知っている。これは物理的プログラムとして避けられないことで、人間に罰を与えようなどという超越的意志が働いたわけでは決してない。

もしこれが「天罰」だと言うなら、「天」という存在とは、時々自動的に巨大地震を起こし、『罰』という名目で無差別的に人間に災害を与えるプログラムを含むものということになる。

こうした彼の思想を突き詰めれば、「神の審判」などといったことを強調する危険な「カルト」の主張と共通するとさえ言える。東京都民は、こうしたエキセントリックな思想の持ち主を、10年以上にわたって知事に戴いてきたことになる。

とはいえ、ここであえて私自身が逆方向のエキセントリックに流れすぎないために、少しクールダウンして、石原氏の言わんとするところを最大限に好意的に解釈する試みもしてみよう。

彼の最初の釈明によると、それは 「受け取り方」 の問題なのだという。そうだとすると、地震・津波は単なる自然現象ではあるが、それを敢えて人間の方の「受け取り方」として「天」からのメッセージと解釈し、そこにしかるべき「意味」を加えてみたいということになるだろう。

そして、彼が (セーラームーンが 「月に代わってお仕置き」 するが如く、「天」 に代わって)作り上げた「意味」とは、今回の地震と津波には、現代の日本人が身にまとってしまった「我欲」という醜い衣をひっぺがして、きれいさっぱり洗い流してしまうことであるらしい。

とてもとても好意的に解釈すれば、この未曾有の災害によって生じた厄災を、周囲と協力し合い、不便を分かち合って耐え抜くことで、「我欲」の不毛さに気付く機会にしたいということなのだろう。そうした効果に関しては、私も否定しないし、むしろ期待したいところでさえある。

しかし、いくらそうした効果を期待しても、それが現れるのは「結果論」としてである。よりによって、被災地の人々にとっては「我欲」どころではないこのタイミングでそれを言うのは、日本最大の自治体の首長として、あまりにも人の苦しみや悲しみを理解しない所行である。

ましてや、 「この津波をうまく利用して」とか「天罰」とかいう言葉を使う必要は、さらさらなかったはずではないか。彼の無慈悲な発言は、「被災者の方々はかわいそうですよ」などという、とってつけたような一言で埋め合わせられるものではない。

さらに、彼の歪んだ目にはどう映っているのか知らないが、日本人の中には「我欲」に凝り固まるどころか。むしろ、それを捨てようとする人たちが大勢いる。それは、私の過去記事を 2つ読んでもらうだけでわかる

羽越線脱線事故・外伝  (平成 17年 4月 14日)
悲しみを堪え忍ぶ強さ  (同年 12月 28日)

石原氏は今度の地震津波を「うまく利用して」、 「天罰」との解釈のもとに、彼の政治信念をプロパガンダしようとしたと思われても仕方がない。しかしそのあざとい目論見はあっさり失敗した。要するに「利用し損なった」わけだ。彼の政治的臭覚も衰えたものだ。

これではっきりとわかった。石原的思想の時代は、既に終わっているのだ。

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

落選して、天罰の意味を体感なさることかと思います。
わたくし、怒っております。

投稿: shun | 2011年3月16日 23:58

ご当人が「天罰」とおっしゃったのは天に代わってのご発言だということなのでしょうか。傲岸不遜も極めりなのでは?当人は真っ当なことをおっしゃってて理解できない下世話者ってことなんでしょうか?もし、万が一にも東京に同じような「天災」が降りかかったとき都民に対して「天罰」ってご発言をされるのでしょうか?でないと矛盾しますよね?で、実際東京も今回被災されておられるのですよね?それでも都民の方はあの輩をトップとして認められるのでしょうか?被災された方々とそうでなかった方々との違いが分からない上に「国民」でひとくくりにされてしまっては 犠牲になられた方々どころか 今必死で生きようとしている方々に対しても もっと浮かばれないのではと思うのですが。あまりにも言葉が乱暴すぎます。

投稿: ぐさり | 2011年3月17日 04:56

shun さん:

>落選して、天罰の意味を体感なさることかと思います。

私もそう思います。
(本当は「天罰」というより「自業自得」なんですが)

投稿: tak | 2011年3月17日 08:48

ぐさり さん:

>ご当人が「天罰」とおっしゃったのは天に代わってのご発言だということなのでしょうか。傲岸不遜も極めりなのでは?

まさにその通りですね。

このご指摘に沿い、本文の 7番目のパラグラフ、つぎのように加筆修正しました。

そして、彼が (あたかもセーラームーンが 「月に代わってお仕置き」 するようなつもりで、「天」 に代わって) こねくり上げた 「意味」 とは、今回の地震と津波には、現代の日本人が身にまとってしまった 「我欲」 という醜い衣をひっぺがして、きれいさっぱり洗い流してしまうことであるらしい。

投稿: tak | 2011年3月17日 08:54

今回の「天罰」発言を私も好意的に解釈してみることにしました。

「今回の地震とそれに関わる原発の事故は 我々為政者に下された『天罰』だと受け止めている。私はその贖罪の意味を込めて全身全霊を捧げたい。」とおっしゃっていれば評価も変わったのではないかと考えます。

しかしながら 彼はそうはおっしゃらず さらに輪をかけてその矛先を「減税党」や「減税党を指示している選挙民」に向けて我が身に降りかかった火の粉を振り払おうとしました。さらにはEU諸国の日本への評価等々焦点をぼやかそうとした。それは事実としてもあの場の発言には そぐわないと感じます。失地回復をしなければならないと言う焦りからだとも思います。

それって「我欲」でしかないのでは?

結論:どう善意で解釈しようとしても あの輩(やから)の発言は短絡的で我が身を周りとは違う存在に見せつけようとした「策士、策に溺れた」結果としか解釈できません。彼がその後、撤回謝罪会見したとしても 彼には一言を言いたいです。「覆水盆に返らず」とね。

投稿: ぐさり | 2011年3月17日 16:25

我欲とは、彼そのものを言うのだ。彼にこそ、天罰は下されるべき! 早急に、被災県に対して、自分は何を、するのか、表明するのが、日本の首都の長としての、責務じゃないのか!

投稿: arukimann | 2011年3月17日 22:19

環境保護団体や動物愛誤団体も同様に危険です。
「人間にいつか罰が下る」なんて言い続けてますから。
神なんていません。天の意思なんてありません。

投稿: あああ | 2011年3月18日 17:59

あああ さん:

>環境保護団体や動物愛誤団体も同様に危険です。
「人間にいつか罰が下る」なんて言い続けてますから。

そんなことを言っているのは、環境保護団体の一部でしょう。

「動物愛誤団体」なら言ってるかもしれませんが。

>神なんていません。天の意思なんてありません。

そう思うのはあなたの勝手です。

投稿: tak | 2011年3月18日 19:16

ぐさり さん:

>彼には一言を言いたいです。「覆水盆に返らず」とね。

現在東京都民にして、仙台出身の夫をもつ妹は、「次は絶対落としてやる」と怒ってました。

投稿: tak | 2011年3月18日 19:19

arukimann さん:

>我欲とは、彼そのものを言うのだ。彼にこそ、天罰は下されるべき! 早急に、被災県に対して、自分は何を、するのか、表明するのが、日本の首都の長としての、責務じゃないのか!

目立ってそうした表明をしているとは思われませんね。

まさに「我欲」を感じます。

それから、小沢一郎さんはどうしちゃったんだろう?

投稿: tak | 2011年3月18日 19:21

前に私は書きました。

それって「我欲」でしかないのでは?と。

そして、思い出しました。ある作家の言葉です。

「悪魔のみこそ、悪魔の心がわかる」って言葉です。

置き換えてみれば「我欲の固まりを持った者にこそ、我欲を持った者達のこころがわかる」ってことですよね。

今回の「天罰」発言は この輩の「我欲」を露出させてしまったのです。自らの発言でです。

こういう状況を「天に向かって唾(つば)をする」って言います。上に向かって唾をはけば 我が顔に戻ってきますもんね。

これから、私は石原慎太郎翁の「天つば」発言と呼ばさせていただきますかな?

投稿: ぐさり | 2011年3月18日 20:33

ぐさり さん:

>これから、私は石原慎太郎翁の「天つば」発言と呼ばさせていただきますかな?

私もそう呼びます。

投稿: tak | 2011年3月18日 21:34

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» 我欲の人 [街の弁護士日記 SINCE1992]
石原都知事は、 今回の震災を、我欲をアイデンティティとするに至った日本人への天罰とし、津波をこれを洗い流すよい機会にしたいと発言し、 宮城県知事の抗議に一転、撤回して謝罪したという。 石原都知事の発言が、 被害者に対する想像力を欠如した感性の欠落した妄言であることはいうまでもない。 通常の感性の持ち主であれば、 床屋談義でさえ、言うもはばかれる内容である。 しかも、中身も間違いである。 津波による... [続きを読む]

受信: 2011年3月16日 10:39

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