震災から 1ヶ月半
あの震災から、1ヶ月半が経った。
地震速報の文脈では、同じ茨城県でも「県北」と「県南」の別があり、例の東日本大震災の本震でも、県北の震度は 6強で、県南は 6弱だった。私の住んでいるつくば周辺は「県南」に位置するのだが、東京とか神奈川に住む人にとってはその辺が漠然としているらしく、親しい知人の中にも、私が水戸の近郊に住んでいると思っている人もいたりする。
同じ関東の茨城にしてそうなのだから、東北の位置関係なんかメチャクチャである。仙台と福島のどちらが北かすらあやふやな人もいる。私の生まれた山形県と秋田県の明確な区別なんか、なかなか付けてもらえない。何度訂正してあげても、庄内が秋田県だという思い込みから脱することのできない人もいる。
のっけから話がずれかかったが、本題に戻す。同じ茨城県内でも、県北と県南では今回の地震の被害のレベルがかなり違うということだ。6強と 6弱の違いは、同じ「6」でもずいぶん違うようなのである。
水戸以北の人と話すと、今回の地震では本当に強烈な怖さを味わったということが伝わってくる。怖かったといえば、つくば周辺の揺れも相当に怖かったが、水戸以北の揺れの怖さはケタが違ったようだ。
その揺れのほどは、今でも水戸以北に行くと道路がガタガタになっていることからも察することができる。常磐道は高速道路とはいえ、今でも制限速度が 80km/h に制限されている。まあ、この制限速度を律儀に守っている人は、今ではあまりいなくなったが、それでも 110km/h のスピードを出している人は少ない。
それは路面がかなりダメージを被っていて、スピードを出しすぎると突然「ガクン!」とバウンドすることがあるからである。ざっと見たところ、多くの車が 100km/h 以下のスピードで走っている。ガソリン価格が上がっているから、エコ運転しているという事情もあるのだろうが。
震災直後、私の住む地域は停電にも断水にもならずに済んだ。水は一時、かなり出が悪くなったが、ついに止まらずに済んだ。しかし周囲の地域では、1日から 3日間、断水になったところが多い。
ところが、水戸以北の断水は、3日間なんてものではない。水戸市街で 1週間。水戸以北では 12~13日間、水が止まりっぱなしだったところが多い。その間、給水車の列に並び、大変な苦労をしたようだ。
現在は水戸以北でも断水しているところはほとんどないが、例外的に鹿行地区の神栖や潮来で断水が続いているところがある。この辺りは液状化現象による被害が大きく、水道管の復旧が進んでいない。建物もまともに真っ直ぐに建っているのが少ないほどだ。
それでも、年寄りたちは「終戦直後のひどい状態に比べたら、まだマシ」と言う。だが「津波にやられたところは、終戦直後と同じぐらいのひどい状態なのかもしれない」と心配している。何もかも失い、歯ブラシ 1本から買わなければならない状態なのだから。
今回の地震では、震度 7 を記録した宮城県北部以外は、おしなべて震度 6強という揺れの地域が広がった。つまり震度としては宮城も茨城北部も、それほどには変わらなかったのだろう。決定的な被害をもたらしたのは、津波だったのだ。
津波に襲われた地域には、本当にひどい状況に追い込まれた人々がいる。激甚被災現場の人たちに具体的な希望を持ってもらえるような基本方針を、政府はそろそろ発表してもいいのではないかと、私はじりじりしている。
私は小学校 6年の 6月に新潟地震に被災し、断水が 1ヶ月以上に及んだため、共働きの両親に代わって水汲みに奔走した。しかし、4か月後の 10月には、テレビで流れる東京オリンピックでお祭り騒ぎをするほどに復旧していたのである。
今回の宮城や福島は、そんなわけにはいかない。
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