« 「自粛」を巡る冒険 | トップページ | 東北の力を信じてる "prayfortohoku" »

2011年4月22日

「集団登校」 って、本当は危険なんじゃないか?

集団で登校中の小学生の列に自動車が突っ込んでしまうという事故が連続して起こった。今月 18日の鹿沼市での事故は 小学生 6人が犠牲になり、そのわずか 4日後の 22日の事故では小学生 3人が巻き込まれた。

こうした事故が起きるたびに、日本の多くの小学校で行われている「集団登校」というシステムが、実は危険なのではないかと疑ってしまう。9年前に私は 「赤信号は、本当に皆で渡れば恐くないか?」 というコラムで、次のように書いている。

私は朝に車で出勤するのだが、小学生の集団登校の群れにはいつもヒヤヒヤさせられる。学校としては、子供たちの安全のために集団登校を指導しているのだろうが、とんでもない、完全に逆効果である。

多くの子供というものは、集団になると特殊な心理状態になる。妙に「ハイ」になるのである。どうしても「ふざけっこ」がしたくなる。キャアキャア言いながら、押したり突き飛ばしたり、蹴りを入れたくなったり、とにかく普通に歩くことができなくなるのである。周りが全然見えなくなる。車ですれ違うものとしては、危なくてしょうがない。ふざけ半分に突き飛ばされた少年が、いつ車道に飛び出してくるかしれないのである。

私が子供の頃は、集団登校なんてものはなかった。気の会う子供、せいぜい 2~3人が誘い合う程度だった。これなら、集団心理に埋没することもなく、周囲に目を配ることができる。危ない時には身をかわすことだってできる。これが 10人以上の集団となったら、身をかわすスペースすらない。

(中略)

こんな危ない集団登校にいつまでもこだわるのは、学校側の責任逃れである。何か事件があった時に、「当校としては常に集団登校を指導していたのですが …… 」と言い訳するための道具に過ぎない。こんなことが言い訳になり得るのは、「その指導こそが間違いなのだ」という突っ込みを入れる人がいないからである。

「赤信号みんなで渡れば恐くない」 というのは錯覚である。あれは敢えて一人で渡るからこそ、自己責任で注意を払って、なんとかなるのである。付和雷同で我も我もと追従したら、危なくてしょうがない。

同様に「集団登校すれば安全」というのも錯覚だ。一人で通学しろとまでは言わないが、せいぜい 2~3人で歩けば、集団心理の中に埋没してしまうこともなく、いざというときには身をかわすスペースもある。最悪でも、子どもが 5人も 6人も同時に犠牲になってしまうという事態は生じにくい。

何でもかんでも集団主義というのは、一見安全に見えるかも知れないが、実はその中の各自の判断力が育つのを損ない、ひいては自分で考えることのできない大人を作り出すシステムだと思ってしまうのである。

私は子どもの頃から、集団の真っ只中にいるとかえって不安でしょうがなくなる性分である。どうしても集団のできるだけ端っこか、あるいはちょっと距離を置いたところにいたい。何も考えずに周囲と同じことをしていると、それだけで「あぁ、これって間違ってる、絶対に間違ってる」と思ってしまうのである。

などというと、日本の学校では「集団不適応」なんて言われかねないから、困ってしまうのだが。

 

|

« 「自粛」を巡る冒険 | トップページ | 東北の力を信じてる "prayfortohoku" »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

こんにちは,初めまして.
いつもとても楽しく読ませてもらってます.

私も小学生の頃,集団登校で通っていました.
当時は,家がお互いに近所同士の生徒が複数人に振り分けられ,
リーダーと副リーダーなる役割がありました.
この2役には高学年の生徒が任命され,先頭にリーダー,間に低学年,最後に副リーダーという陣列を組み,1列で登校するという指導が徹底させられていました.
リーダーは前方向からの危険を常に意識し,副リーダーは後方並びに隊列の維持に意識していました.
現代の問題は,仰るような学校関係者の“思い込み”も確かにあるかもしれませんが,それよりもむしろ“指導”が徹底されていない点にあると考えます.
もちろん集団心理が働き注意力が散漫になる欠点もありますが,何人ならば安全と言った線引きは生徒の個々の能力にも左右され,なかなか難しい.従って少数ならば咄嗟の判断力が功を奏すとは一概に言い切れないように思います.
逆に少数では,2列歩行や3列歩行が逆に目立っている事実もあります.
このような問題を解決するには,学校側が徹底した指導と通学路の危険地帯での見張りの配置等の配慮こそが,教育という意味からも重要であると思います.
長々と失礼しました.

投稿: 紅いも | 2011年4月23日 16:30

紅いも さん:

>もちろん集団心理が働き注意力が散漫になる欠点もありますが,何人ならば安全と言った線引きは生徒の個々の能力にも左右され,なかなか難しい.
>従って少数ならば咄嗟の判断力が功を奏すとは一概に言い切れないように思います.

確かに、それはそうですね。

ただ、少人数なら物理的にリスクは分散されるということは言えると思います。

>先頭にリーダー,間に低学年,最後に副リーダーという陣列を組み,1列で登校するという指導が徹底させられていました.

う~ん、私はこの「一列歩行」の意味があまりよくわからないんです。

十分な幅のある舗道でも、ずらっと一列になって歩く姿をみると、「なんだかなあ」と思ってしまいます。

一列になって延々と時間をかけて横断歩道を渡る小学生の列に遭遇すると、信じられないものをみるような思いがします。少なくとも、横断歩道を渡るときは、2列か 3列になって、さっさと渡る方がいいのではないかと。

投稿: tak | 2011年4月23日 20:00

私の地域の小学校は集団登校、単独下校ですが、
下校時は20~50mくらい置きに
ダラダラと子供達が1kmに渡って下校しています。
それを観察すると、それもそれで危険かなと思います。
例えば、仲良し同士のグループで下校するので、
遠慮の無い「ふざけっこ」が始まります。
これこそ特殊な心理状態で妙に「ハイ」な状態です。

また、登校時に一列になる理由ですが、
集団であって集団ではない状況を作り出しています。
2列になると「ふざけっこ」が始まる可能性が高まります。
前に2人、横に1人、後ろに1人の「集団化」ですね。
3列になるともっと増えます。
1列だと、前に1人後ろに1人。前の人の背中が見えるだけ。
特殊な心理状態で「ハイ」になりにくい。

さらに狭い道での2列で「ふざけっこ」は
車に轢かれる可能性も出てきます。

集団登校は大人がグループ分けして、仲良しは分かる範囲で離し、
一列になる事で「ふざけっこ」しづらい状況にしています。
リーダーには低学年の「ふざけっこ」の歯止めの役割もしています。
これはリーダー次第ですが。

また、事故で亡くなるリスクは同じだと思います。
個々で考えると、通学中に子供が事故に遭って死ぬ確率は
集団登校だろうが単独登校だろうが同じですよね。
それが全員になっても同じ事。
一度に6人亡くなる事故が一件あるか、
1人亡くなる事故が6件に増えるかです。

紅いも さんのおっしゃる通り、
しっかり機能した集団登校は自由登校(結局は仲良し同士での集団登校になる)
より比較的安全ではないかと愚考します。

投稿: リュウT | 2011年4月25日 12:46

リュウT さん:

なるほど。

集団登校のメリットがよくわかりました。
つまり、紅いもさんのおっしゃるように、指導を徹底することが大切なわけですね。

要するに、私の地区の小学校は指導がいい加減というわけだ。

投稿: tak | 2011年4月25日 14:18

回答ありがとうございます。

tak様の地域の小学校は存じ上げませんが、
私の小学校はそれなりの指導はしています。

ただ、それも6年生のリーダー次第です。
しっかりしたリーダーのグループはちゃんとしていますし、
逆にダメリーダーのグループはグダグダです。
性格や親の躾に左右されるので、
こればかりは如何ともしがたいですね。
グダグダグループの方が目立つので、
tak様もそれが気になったのではないでしょうか。

学校とPTAの同意でずっと続いているには
それなりの理由があるのだなと思っています。

投稿: リュウT | 2011年4月25日 15:12

うーん。

>一度に6人亡くなる事故が一件あるか、
>1人亡くなる事故が6件に増えるかです。

これは違うような気がします。
一人だったら回避できる事故があるというのがまさにtakさんの記事の趣旨で、私もそう思います。
集団だと避けられる事故も避けられず、しかも一度に6人とかが被害に遭う可能性があるということでは?

仮に1x6か6x1の違いに過ぎないとしても、学校や地域の皆さんが積極的に手を打って防止しなければならないのは(あるいは受け入れるべきリスクは)どちらでしょうか。

例えば、事故に遭っているのが低学年の児童に集中しているから上級生を同伴させるというのならわかります。そういうことでもなければ、一人当たりの確率は上がってしまうのではないでしょうか。

投稿: きっしー | 2011年4月25日 16:16

リュウT さん:

>学校とPTAの同意でずっと続いているには
>それなりの理由があるのだなと思っています。

まあ、根本的に日本人は集団行動が好きという前提があるのだとは思いますが、指導次第ということについては納得しました。

投稿: tak | 2011年4月25日 17:19

きっしー さん:

>一人だったら回避できる事故があるというのがまさにtakさんの記事の趣旨で、私もそう思います。

そうそう、それを忘れていました。

私は、2~3人のグループなら避けやすいと書いていますが、必ずしもそうとばかりは言えないという反論については、ある程度納得しました。

ただ、

>一度に6人亡くなる事故が一件あるか、
>1人亡くなる事故が6件に増えるかです。

ということについては、やはり疑問で、言うとすれば、

一度に6人亡くなる事故のリスクと、
一人亡くなる事故と、一人でいたために誘拐されるなどのリスクを足したものが、トントンになるのかどうか

という問題ではないかと。

これを比較する際に、2~3人でいれば、皆殺しになる確率も、誘拐される確率も低いので、いいんじゃないかということになりそうに思うのです。

ちゃんと比較できる統計にお目にかかってないので、断言はできませんが。

投稿: tak | 2011年4月25日 17:28

っしーさん

不意に危機が迫った時は足が竦んで動けないんですよ。
試しに知り合いの小学生に「危ない」と言いながら突進してみてください。
(もちろん、直前に止まってくださいね。)
一人故に避けられる事故は実際は少ないと思いますよ。

逆に一人故に起こる事故という可能性が出てきます。
低学年の子供の一部は注意散漫だったり考えなしに突っ走る、言う事を聞かない。
色々な子がいます。
また、いくら言い聞かせても瞬間的に交通ルールを忘れがちです。
一人で歩かせる方が危ないと思います。

>事故に遭っているのが低学年の児童に集中しているから上級生を同伴させる
これがまさに集団登校ですよね。

かく言う私も
ちゃんと比較できる統計にお目にかかってないので、断言はできません。
ここはtakさんに100%同意です。

蛇足ですが、
鹿沼市での事故は高学年だけの集団登校で、
これは何か私の言う集団登校とは違うなと感じました。

投稿: リュウT | 2011年4月26日 12:57

上記は「きっしーさん」宛です。
失礼しました。

投稿: リュウT | 2011年4月26日 12:58

リュウT さん:

きっしーさん宛のコメントですが、レスを書かせていただきます。

>不意に危機が迫った時は足が竦んで動けないんですよ。

なるほど、そういうものかもしれません。

低学年の子が交通ルールを忘れがちというのも、なるほどという気がします。

それがはっきりとわかる統計は見たことがありませんが、納得できます。

上級生が低学年の子の面倒をみるというのが集団登校の理念であるというなら、それも「なるほど」と思います。

ただ、車に突っ込まれてしまったら、集団であるために犠牲者が増えるというリスクもあるわけで、「リスクは分散すべき」という理念とは反対になってしまいます。

どちらがいいのかは、本当に統計がないのでわからなりませんね。

>鹿沼市での事故は高学年だけの集団登校で、
>これは何か私の言う集団登校とは違うなと感じました。

高学年しかいないんだったら、集団登校の意味がないですね。
ただ、一度始めたことだから、止めるわけに行かなかったんでしょう。

投稿: tak | 2011年4月27日 17:09

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「集団登校」 って、本当は危険なんじゃないか?:

« 「自粛」を巡る冒険 | トップページ | 東北の力を信じてる "prayfortohoku" »