今まさに 「正常化の偏見」 をフル活用中
人間は自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価してしまう特性があり、これを「正常化の偏見」(normalcy bias) という。宝くじで一等賞に当たるよりも交通事故で死ぬ確率の方がずっと高いのだが、人間は宝くじで大もうけする自分の姿を思い浮かべても、交通事故で死ぬ姿をよもや想像したりはしない。これも正常化の偏見のなせる技である。
私はこのことについて、過去に 2度書いている。"自分だけの都合による偏見" と "少し色褪せた 「正常化の偏見」" という記事である。両方とも、正常化の偏見というのはちょっと複雑に機能することがあるというようなことを書いている。しかし私は今、自分が最も単純な形で正常化の偏見をフル活用していると意識している。
それはもちろん、福島第一原発事故の推移についてである。原発事故の評価は最高のレベル 7 にまで引き上げられ、ちまたにはこれでは済まず、さらに危険な状態にまで到達する危険性があるとの見方もあるのだが、私ばかりでなく、多くの日本人は恐れ過ぎもせず、案外淡々と日常を送っている。
この「落ち着き払った」日本人の態度は、外国から見るととても不思議に思えるらしい。しかし、これは不思議でも何でもない。我々は今まさに、「正常化の偏見」 をフル活用してストレスから逃れているのだ。「多分、大丈夫」と思っている。そう思わなければ頭がおかしくなってしまうから。
なにしろ、日本は狭い島国だ。身近に放射能の脅威が存在するからと言って、簡単に逃げ出すわけにいかない。逃げるといっても、一体どこに逃げろというのだ。車でずっと遠出すれば国境を越えられるヨーロッパやアメリカとは、わけが違うのである。
この「正常化の偏見」は当事者において最も顕著に表れるから、遠く離れた外国からみると日本人の態度が不思議に思われるのだろう。外国では 「多分大丈夫さ」とは思いにくい。「日本ではエライことが起きているらしい」と思うのが当然だ。それはたしかに「エライこと」には違いないのだが。
ここで大切なのは、「我々は今、正常化の偏見を利用してストレスから逃れている」ということを、客観的に意識しておくことだろう。ちゃんと覚悟して、その上で「多分大丈夫さ」と思うことにしようではないかということだ。そうでないと、単なる「ノー天気」になってしまう。
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コメント
normalcy bios → normalcy bias ですね。
本日のコメントは、興味深く読ましていただきました。
投稿: ハマッコー | 2011年4月13日 20:37
ハマッコー さん:
>normalcy bios → normalcy bias ですね。
ご指摘、ありがとうございます。
修正しました。
実は、bias のスペル、昔からしょっちゅう間違います。
どうもツボにはまってるみたいです ^^;)
投稿: tak | 2011年4月13日 22:15