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2011年5月15日

感性はメルトダウンしちゃって、ストレスばかり増える

3日前に「こっちの感性がメルトダウンしちゃう」というログを挙げたが、「1号機建屋の地下に汚染水3千トン 漏出? 冠水計画見直し」などというニュースをみるにつけ、「俺の感性、もうとっくにメルトダウンしちゃったかも」と思う。

こうしたニュースに、いちいち付き合いきれなくなってしまった。なにしろ、ちゃんとした収束までにはあと 10年かかりそうだというのである。危機が日常化してしまっているのだから、しょうがない。

「付き合いきれない」と思える「辛うじてセーフ(かもしれない)」ゾーンの茨城県西南部に住んでいるから、こんな寝言が言えるのであって、原発に数十km というゾーンでは、それどころじゃないと思うのだが、どうにもできないいらだちがある。

「原発のニュースには付き合いきれない」 というのも寝言なら、「人はまだ一人も死んでいないのだから、原発は安全」などというのも、もはや立派な寝言である。半径 50km 圏内に居住する人が、自分の家から離れて、ということは、まともに生活する権利を奪われて、どこかに避難しなければならないという状態の、どこが「安全」と言えるのだ。

とは言いながら、もう本当にこっちの感性なんかメルトダウンしているから、海洋汚染の予測図の茶色のゾーンがじわじわ広がっていこうとも、大気中の放射線物質がどんどん内陸部まで広がってこようとも、「ああ、初めっから、この程度のことは予測できていたはずなのに、情報を小出しにしてきたんだな」と、ただ呆れるのみである。

リスク・マネジメントの常道は、予測される最悪の状況を避けるために、情報を正直に公開し、可能な限りの対策を初期の段階で取ることである。これについては、食品関連の不祥事がある度に指摘してきた。まあ、東電はこの初期対応で間違ってしまったわけだ。パニックを恐れるあまり、国民を見くびりすぎたのである。

人間というのは不思議なもので、ここまできても「まあ、最悪の事態は避けられるだろう」と、根拠があるような、ないような、「正常化の偏見 (normalcy bios)」を駆使した心情を保持できている(参照)。そうでなかったら、東北から北関東にかけての住民はみな、関西方面に逃げ出すところだ。

ただ、正常化の偏見フル稼働のおかげで、なんとか精神の安定は保たれているが、東電に対する不信感は思い切り増幅してしまっている。ストレスといらだちがたまりにたまっているのは事実だ。

先頃発表された 6ヶ月から 9ヶ月かけて収束させるという工程表にしても、あんな根拠もヘッたくれもないものを信じている国民なんかいなかった。しかし、こんなにもあっという間に、それが反古になるとも思わなかった。今は何を言われても信用できないという、難しいところまできてしまっている。

原発事故で一番危険なのは、物理的リスクよりも、この不信感増幅による国民的ストレスなのかもしれない。その意味でも、今回の惨事の多くの部分は人災だ。問題は、東電自身がそのことをあまりよく認識していないんじゃないかということだ。この不信感を払拭し、信頼を取り戻すまでには、絶望的なまでに長い時間がかかるだろう。

 

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