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2011年5月 6日

「葉っぱはなぜ緑色なのか」への、稲本正氏の回答

オークヴィレッジ代表の稲本正さんが、とても興味深いことをおっしゃっている。「葉っぱはどうして緑色なのか」ということだ。

これに対して、「葉の主成分であるクロロフィルの色だ」とか 「緑色の光線を反射するから緑色に見えるのだ」とか、いろいろの説明があるのだが、稲本さんはそれでは満足のいく答えになっていないというのである。根元的な問いは「葉っぱはどうして緑色の光線を反射する道を選んだのか」ということだ。

太陽光をプリズムで分解してみると、目に見えるところでは赤から紫まで広がっていて、その中でも一番有力なのは、真ん中の緑色の部分だ。ところが、葉っぱは敢えてこの一番有力な緑の光線を反射して取り入れないようにし、赤と紫の部分の光線を取り入れている。だから我々には、葉っぱは緑色に見える。

葉っぱが太陽光を最も効率的に取り入れようとしたら、自らを真っ黒にすべきだったのではないかと、稲本さんはおっしゃるのである。そうすれば、太陽の光をあますところなく吸収して生きることができる。ところが、植物はそうしなかった。葉の色を緑にし、太陽光の最も有力な部分を反射して、他に分け与える道を選んだ。

もし葉っぱが真っ黒な色をしていたら、地球は真っ黒な植物に覆われ、ずいぶん暗く味気ない星になっていただろう。そして植物以外の生命は栄えることができず、ということは、植物自身も動物との共生を行えず、自らの進化の道を狭めることになっただろう。

もとより植物は生態系の中のエントロピーを減少させる働きをしていると、稲本さんはおっしゃる。動物がひっきりなしに吐き出している二酸化炭素を吸収して酸素を供給し、放っておけば汚れてしまう水を浄化し、動物の体の元となる有機物を作る。混沌の真っ只中で自ら有機物を生産する力があるのは、地球上で植物だけだ。

植物は、自ら地上で栄えるばかりでなく、自らの直接の取り分を小さくしてまで動物たちに太陽光の最も豊かな部分を反射して分け与え、共生する道を選んだのだと、稲本さんはおっしゃるのである。

植物が意識的に(植物に意識というものがあると仮定して)そうした崇高な道を選んだのかどうかは、わからない。単に偶然の結果、そうなっただけなのかもしれない。

しかし太陽光の独占 (「強欲」といってもいい)は、動物との共生(受粉だけでなく、根からの栄養分の吸収にも土中の動物は大きな役割を果たす)の道を狭め、結果的に自らの生命の可能性をも小さくする。

植物がここまで上手に進化することができたのは、宇宙の法則にうまく適合したからだ。法則に反した道を選んだら、勝手に自滅していただろう。ということは、「他との共生」こそがこの世のあるべき姿であり、それに合致したものこそが生き延び、栄えることができるのだとみてもいいだろう。結果が雄弁にそれを証明している。

昨年の今頃、私は「"Empathy" の時代」という記事を書いた。一昨日あたりから書いている記事は、実はそれの延長線上にある。 「弱肉強食」や「競争原理」が進化の原理であるというのは、実は大きな誤りだったと、人類は気付き始めている。とくに今回の震災を機に、多くの日本人がそれを「生活実感」として明確に意識した。

今、日本のみならず世界の多くの人たちが、自ら進んでとても誠実な気持ちで日本のために祈り、協力してくれようとしている。そしてそれによって、少なくとも「悪い気はしない」という経験をしている。こうしてみると人間は、前頭葉のロボトミー手術などをしなくても、「他のために尽くすこと」によって快感を得ることができる存在であるらしい。

人類が地上に登場して、競争原理によって圧倒的な繁栄を見せているように見えるのは、長い長い地球の歴史からすると、ほんの一瞬のようなあだ花である。とくに産業革命以後の無理矢理の力技的文明は、既に限界に来ているとしか思われない。法則に合わないものは、自然に消え去るだけだ。

 

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コメント

う~~む
すばらしい~~~!!
そうか
やっぱりそうなんだね?

ありがとうございました。

投稿: tokiko68 | 2011年5月 6日 17:06

tokiko68 さん:

>そうか
>やっぱりそうなんだね?

実際には、「真っ黒だったら、夏の暑い日には焼け焦げちゃう」とか、いろいろの複合的要因もあるんだと思いますが、いずれにしても、緑の光という豊富な部分を他に分け与えることによって、結果的に全体のバランスが取れて、共生がうまくいってるというのは確かなので、「譲り合い」 が自然界のあるべき姿というのは、言えてるんでしょうね。

一見、弱肉強食と見える姿も、その実、案外譲り合ってるのかもしれませんしね。

猛獣たちも、必要以上の狩りはあまりしないし。

投稿: tak | 2011年5月 6日 20:08

(ほぼ)初めまして。このところの記事を興味深く拝読しています。葉っぱの色の本当の理由については私も常々疑問でした。

記事をきっかけに少し調べたら決定的な結論はどうもなさそうです、が葉緑素はメカニズム的に光合成を緑の前後の2つのピークで行っており、こちらのほうが効率がよいためという理由があり、それかなと思いました。

と、ここまでは自然科学の話ですが(^^;、記事の主旨にはおおいに賛同します。他に分け与えるという考えは童話的かなと思いますが、個々の種がが利己的に繁殖しようとした結果だとしても、動植物が(人間を除き)バランスよく共存共栄している状況は美しいと思います。そして、おっしゃるとおり、このままでは人類は消滅してしまいそうです。

私は'70年代に少年期、'80年代に青年期を過ごしましたが、当時も物質文明と言われつつ、まだ質素なところがあったと思います。エネルギー消費もバブルがピークでなくその後も着実に暫増しているようです。せめて'85年位のレベルに戻っても十分便利じゃないかと思いますが…。

takさんには釈迦に説法だと思いますが、人間の最大の満足は他人に喜ばれることだと教えにもあるそうです。読書や旅など自分ひとりでの満足も大切ですが、利他的な満足というものがもっとベースにある社会になればいいし、自分もそうなりたいですね。。

投稿: koji | 2011年5月 7日 11:56

koji さん:

コメント、ありがとうございます。

>他に分け与えるという考えは童話的かなと思いますが、個々の種がが利己的に繁殖しようとした結果だとしても、動植物が(人間を除き)バランスよく共存共栄している状況は美しいと思います。

どうやら、利己的に繁殖しようという行為も、実は共存共栄のシステムの中でバランスよく機能するときに、最も効果的に働くんじゃないかという気もします。

知らず知らずのうちに、全体に貢献しているというか。

>利他的な満足というものがもっとベースにある社会になればいいし、自分もそうなりたいですね。

まったく同感です。

投稿: tak | 2011年5月 8日 20:17

得意分野だ(^-^)

クロロフィルが緑色をしていると思うのは地上の主な植物を見慣れているからで、本当はいろいろな種類があって、吸収する波長もそれぞれに異なっています。
例えば海藻の仲間では見た目が真っ赤な物(テングサなど)も多くありますし、褐色の物は皆さんも良く知っている昆布やワカメなどがあります。

ちょっと変わったところでは藍藻類などはかなり変わった光合成をする物があります。
緑じゃなければ真っ黒なんて事はありませんし、そう言う色でなければ存在できないとか他の生物と共存できないとか言うことでもありません。

利己的とか利他的とか言う話ではなく、たまたま地上の環境に緑の色を持ったものが適応したと言うだけではないでしょうか。

例えば、藍藻類はかなり偏った環境を好みますが、地球が全体的にそう言う環境であったなら、植物のほとんどが藍色になっていたという可能性もあるのだと思っています。

もちろんそう言う環境であったなら、人間はおろか現生生物のほとんどはこの世に存在せず、その環境にあった生き物が支配する世界だったでしょう。

投稿: 蝠樂亭 | 2011年5月 8日 22:39

蝠樂亭 さん:

>クロロフィルが緑色をしていると思うのは地上の主な植物を見慣れているからで、本当はいろいろな種類があって、吸収する波長もそれぞれに異なっています。

緑でなくても、いろいろの可能性があったことは確かですが、稲本さんはもっともメジャーな森という環境に注目したので、「緑」 ということで話を進めてるんでしょうね。

森が緑であったおかげで、結果としてかなりバランスの取れた世界が現出されているという、「論より証拠主義」 のお話なんだと思います。

投稿: tak | 2011年5月 9日 11:09

何かの理由で空や海が赤かったら、わたしたち(正確にはそういう環境で生じた知的生命体)はその赤い空や海を見て「きょうはきもちのよい五月晴れだなあ」とか思うんだろうな、とむかし思ったことがよくありました。だから、仮に植物が黒かったとしてもそれはそれでそれなりの生物や生態系ができたんじゃないかなあという気もします。
また、絶滅せずに残った生物というのは互いに取れるものは取り合いつつ一定のバランスを取っているように見えるものなのかもしれません。実際にそうなんでしょうし。
「他のと共生」というお考えについては、先月 NHK でやっていたマイケルサンデルさんの特別教室という番組でも、サンデルさんが同じようなことをおっしゃっていました。そういう新しい時代になったのかもしれない、というようなことです。

投稿: たんご屋 | 2011年5月11日 15:43

たんご屋 さん:

>仮に植物が黒かったとしてもそれはそれでそれなりの生物や生態系ができたんじゃないかなあという気もします。

それは確実にそうでしょうが、多分、今よりずっと貧相な生態系になっていたんじゃないかと思います。

投稿: tak | 2011年5月11日 16:22

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