単に 「もっともらしいだけ」 というのも、それなりに意味がある
昨日の予告通り、食べ合わせに関する思い出深い話を書く。実は 8年も前に書いてしまったことなのだが、Today's Crack をココログに移管する前のことで、独立したブログ記事としての体裁になっていないので、ここで改めて書くことにする。
それは、「私は子供の頃、『死』を具体的に意識したことが 2度ある」という話から始まる。一度は 12歳の頃の「新潟地震」の時だが、最初に意識したのは幼稚園の頃だった。健気なことに、幼心に「死」を覚悟したのである。
私は三世代同居の家で子供時代を過ごした。祖母は自分が病弱だったこともあって、「食べ合わせ」には大変うるさい人だった。「○○と△△」 は一緒に食うなとか、「××と◇◇」と一緒に食ったら死んでしまうとか、ことあるごとに言うのだった。
中でも凶暴なのが、「イカの塩辛と梅干」の食べ合わせである。とにかく祖母は何かあるとすぐに「死ぬ、死ぬ」という人だったが、常日頃からイカの塩辛(庄内では 「いがじょがら」 と訛る) 梅干しを一緒に食ったら、たちどころに死んでしまうと言うのである。
ところが祖母と二人きりで留守居をしていたある日、私はうっかりと、まさにこの組み合わせのつまみ食いをしてしまった。それがバレた時、祖母は冷酷にも「おぉ、死んでしまう」と言い放ったのである。幼い子供にとっては、これ以上のショックはない。
「本当に死ぬのか」と聞くと、「イカの塩辛と梅干を食ったら死ぬと、昔から言う」と、祖母は真顔で答えるのである。
「そうか、死ぬのか」と私は思った。これはもう後悔してもし切れない。頭が白くなった。
そして何よりも切ないことに、祖母はそれっきり私を放っておいたのである。薄情この上ない仕打ちである。大事な孫が死ぬというのに医者を呼ぶわけでもなく、病院に担ぎこむのでもない。坊主を呼ぶわけでもさらにない。何事もないように、ごくフツーの顔をして日常の家事に戻ったのだ。私は、これはどう手を尽くしても甲斐のないほどに「手遅れ」なのだと理解した。
それから半日、私は泣き喚くこともなく、ひたすら大人しく自らの死を迎えようとした。死ぬのは仕方ないと思ったので、とりたててうろたえはしなかった。既に自らの死を受け入れていた。しかし死ぬ前にはさぞ苦しかろうと、それだけが恐怖だった。それでも、どんなに苦しかろうと耐えるしかない。どうせ死ぬのだから。
ところが、何時間経っても死ぬどころか、腹痛すら起きない。祖母に「いつ死ぬのか」 と尋ねても、「死ぬ」としか言わない。そうは言っても、そのような兆候はまったく現れない。夜になってもまだピンピンしていて、いつの間にか「死」の恐怖は消えてしまった。
「食い合わせ」 というのはほとんどが迷信だと知ったのは、小学校 3年か 4年の頃である。それまで私は、「あの時は『運良く』死を免れた」 ものとばかり思っていた。
ところで祖母は、本当に私が「死ぬ」と思っていたのだろうか? あるいは、死なないと知っていて「死ぬ」と言ったのだろうか。私は長い間、それが疑問だった。後者だとしたら、現代の考え方からしたら相当に残酷な話だ。してはいけないことである。幼子に「食」に対するトラウマが残ってしまうかもしれないではないか。
しかし、その後に私はこう理解できた。祖母の頭の中は、「現代」ではなく、「近代」 、はたまた「近世」 ですらなかったのだ。
彼女は、「はひふへほ」 を 「ふぁふぃふふぇふぉ」 と発音する人だった。これは音韻学によれば、奈良時代の発音であるとわかっている。「歯が痛い」 というのを、「ふぁ、病める」 と言った。昭和の御代に、奈良時代の物言いを維持する、「生きたフォークロア」 だった。
彼女が実質的に生息する「中世以前~古代」の感性においては、「食い合わせで死ぬという言い伝え」は、「死なぬという事実」よりはるかに重視すべきテーゼだった。伝承によるファンタジーの価値は、実証的事実に勝るのである。
だから大事な孫を目の前にしても、「事実」はどうあれ、「言い伝え」を忠実に繰り返す以外に選択肢はなく、いわば「オートマチック」な反応なのであった。これを現代の感覚から「残酷」と非難するわけにはいかない。
私のフォークロア的感性は、昨日や今日に始まったことではない。年季が入っているのである。だから、「おばあちゃんの知恵袋」の中身が、本当に役に立つことと、単にもっともらしく聞こえるだけのことの混淆だったとしても、それをしてどうのこうの言う気にはならない。単に「もっともらしいだけ」というのも、それなりに意味があると思っている。
実用的なことと、単なる言い伝えのごちゃまぜこそが、人の世というものなのである。
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コメント
「うなぎと梅干」など、永遠のテーマだと思ってました。
ですが、近所のスーパーで買ってきたうなぎのかば焼きでひつまぶし、…刻んで混ぜただけのうなぎの混ぜご飯作ったときに、口の中さっぱり箸休めのために、きゅうりとカツオ節と梅肉の和え物をこさえて、家族に出しました。
結果、好評好評!(重畳重畳)
皆さん、召し上がった後に、「あ!うなぎと梅干!」と気付いておられましたが、特になんともなしでした。
調べてみたら、「梅の月向農園」さんの、「なんでも梅学→暮らしの中の梅」というページに、上記家族の“?”を補完してあまりある内容がありましたので、こっそり報告します。
投稿: 乙痴庵 | 2011年8月 2日 21:49
乙痴庵 さん:
>「なんでも梅学→暮らしの中の梅」
http://www.minabe.net/gaku/kurashi/unagi.html
ですね。
勉強になりました (^o^)
投稿: tak | 2011年8月 2日 23:26
>「なんでも梅学→暮らしの中の梅」
食べ合わせなど
一度も気にしたことがありませんでしたが、
世の中には
たくさんの忌みがあるんですね~~!
とっても勉強になりました。
ありがとうございました。
あ、そうそう、
私は夜爪を切ると親の死に目にあえないと
昔の人がいいましたが、
「それは、迷信だ」
と、思って、いつもいつも夜、
お風呂あがりに、やわらかくなった爪を切っていました。
私はずっとそばに付いておりながら、
ちょっと席をはずした為に
何故か、両親の死に際に、間に合いませんでした。
でも、
まだ、諺を、信じていませんの。
投稿: tokiko68 | 2011年8月 9日 10:48
私もその言い伝えは知りつつ、「それってそんなに重要なことなのかなぁ」と思いつつ、「夜ツメ」やっていました。結果として(ではないと思いますが・笑)、両親の死に目には会えませんでした。
投稿: 山辺響 | 2011年8月 9日 11:34
tokiko68 さん:
私は夜に爪を切っているのを見つかって、母に泣かれたことがあります。
で、結局本当に死に目にあえませんでした。
でも、親の死に目にあえる人は、今の世の中では少数派なんでしょうね。
みんな夜爪切ってるから ^^;)
投稿: tak | 2011年8月 9日 15:27
山辺響 さん:
>結果として(ではないと思いますが・笑)、両親の死に目には会えませんでした。
tokiko さんのコメントのレスに書いたとおり、私も母の死に目にあえませんでした。
これは夜爪とは関係がないと思いますがねえ ^^;)
投稿: tak | 2011年8月 9日 15:29
想像するに、「夜ツメ」という行為には実はもっと現実的なデメリットがある(あった)のではないでしょうか。たとえば昔は今ほど室内の照明が明るくなかったから、手許が暗くて、ツメを切ろうとしてちょいと怪我をすることがある、とか。
で、そういう愚行を戒めるために「親の死に目に会えなくなる」というような迷信が生まれた……。
食べ合わせにしても、たとえば「これとこれを一緒に食べると、翌日のおかずがなくなっちゃうじゃないか!」とか……(笑)
投稿: 山辺響 | 2011年8月 9日 17:10
山辺響 さん:
夜爪の禁忌は、多分そういうことなんだろうと、前から思っていました。
食べ合わせの件は、目から鱗が落ちました (^o^)
投稿: tak | 2011年8月 9日 17:23
え====!!!
ここの3名が同じ「夜爪」で親の死に目にあえなかった・・・・・・・・・
するってぇと~~~・・・・・・
う~~~む。
投稿: tokiko68 | 2011年8月 9日 19:08
tokiko68 さん:
>ここの3名が同じ「夜爪」で親の死に目にあえなかった・・・・・・・・・
>するってぇと~~~・・・・・・
風評被害、風評被害 ^^;)
決して原発のせいじゃないと思いますが。
投稿: tak | 2011年8月 9日 21:58