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2011年7月14日

「世俗の富」のメタファー

あの震災から 3週間ぐらいしか経っていない 4月 6日に「壊れた 「ぐし瓦」 とブルーシート」という記事を書いた。ちなみに「ぐし瓦」は単に 「グシ」 とも言って、屋根の棟の部分(てっぺんの直線部分)を覆う瓦のことである。その記事に、「岳父が瓦職人をやってた」とおっしゃる犬千代さんから次のようなコメントをいただいた。

グシは、家によっては5段、7段と積み上げているのですが、あれはいわゆる「富の象徴」だそうで、お金をかけているおうちでは、7段とか、重ねているそうですよ。

ぐし瓦をそんなに積み上げる風習があるとは知らなかった。しかもそれが、「富の象徴」 だったとは。確かに、いかにもお金を持っていそうな総檜造りの御殿みたいな家の「グシ」は、やたらに周囲を圧するように盛り上がって、妙に目立っている。それが瓦を 5段も 7段も積み重ねていたのだとは(多分、縁起の問題もあって奇数なのだろう)初耳だった。

「富の象徴」という意味では、「うだつ」のようなものなのだろう。うだつは本来、防火壁として隣家に近い屋根に取り付けたものだが、江戸時代以後は富の象徴として、屋根のてっぺんに取り付けられるものも出てきた。それで、儲からないことを「うだつが上がらない」なんていうようになった。

せっかく「富の象徴」として積み重ねたグシも、その重心の高さゆえに今回の地震に耐えきれず、ガラガラと崩れ落ちて割れてしまうという災難が続出したわけだ。我が家の周辺にも、震災後 3ヶ月経ったのに相変わらずブルーシートで覆われた屋根がたくさんあって、気の毒なことである。

それにしても地震国という事情よりも、不安定な代物を積み上げて「富の象徴」として周囲に見せびらかしたいという、かなり不条理な欲求が勝ってしまうというのも、人間心理のおもしろいところだと思うのである。

グシばかりでなく、周囲の家では大谷石の塀とか、石灯籠とかも結構崩れてしまっている。大谷石の塀は、ブロック塀みたいに心棒を通さないでただ積み重ねただけなので、崩れる時にはあっさり崩れる。崩れるだけならまだいいいが、無惨に割れてしまったりしたら、もう使い物にならない。

我が家の周囲は無駄に盛り上げたグシとか、豪勢な大谷石の塀とか、庭の石灯籠とか、コンベンショナルな、見方によっては成金趣味の装飾を施した家が結構たくさんある。こうしたものは、大きな地震が来ると崩れて落ちてしまうという点で共通している。何しろ、きっちりと接合してあるのではなく、重力頼みで積み重ねてあるだけなのだから。

私なんぞは、ごくフツーの小金持ちが、何のために不安定に高いグシをあつらえ、大谷石の塀で家を囲み、照明をおくわけでもない石灯籠を庭におきたがるのか、理解できないところがある。

とくに役に立つというわけでもない「富の象徴」が地震で脆くも崩れ去って、それをまた懲りもせずに復旧したがるというメンタリティは、世俗の「富」 というものの本質を示すメタファーという気もする。よく考えてみればたいして役に立つわけでもない「富の象徴」を、際限なく再構築していくことが「世俗の富」なのだ。

なるほど、「富める者が天国に行くのは、らくだが針の穴を通るより難しい」とイエスが言ったのも道理である。この言葉の「富める者」は、世俗の富にうつつを抜かす者のことなのだ。

 

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コメント

人間って、
欲張りですよね~
つくづく思う・・・・・・


しかし、
世の中に残っている数百年前、数千年前の物って
みんな
王侯貴族が造ったものですよね・・・・涙


投稿: tokiko68 | 2011年7月15日 09:47

ラクダとか針の穴とか、どうでもいいではないですか
どうせ、天国なんて無いんだから(笑)

「世俗な」って、「人間的な」と言い換えてもいいんじゃありませんか?
可愛いものじゃないですか、多少の虚栄は
私は、あまり見栄を張る方じゃないけれど、さりとて、禅坊主みたいな人間と、おつきあいはしたくありません(笑)

しかし、朱鷺子さんのコメントは、案外深いところを突いていますね

投稿: alex99 | 2011年7月15日 13:52

この頃、tak-shonai さんの血中縄文値が上がっている様に思います(笑)

投稿: alex99 | 2011年7月15日 18:11

tokiko68 さん:

>しかし、
>世の中に残っている数百年前、数千年前の物って
みんな
>王侯貴族が造ったものですよね・・・・涙

それらの多くは、その辺にある 7段重ねのグシとかとは、意匠的にも、技術的にも、美的にも、気合い的にもレベルが違うという気がします。

7段重ねのグシ程度のものは、まあ、そこそこで滅びてちょうどいいんでしょうね ^^;)

投稿: tak | 2011年7月15日 20:15

alex さん:

>ラクダとか針の穴とか、どうでもいいではないですか
>どうせ、天国なんて無いんだから(笑)

あると言えば確実にあって、今まさに天国に遊んでいるという類のものですから、その次元では争いません (^o^)

>「世俗な」って、「人間的な」と言い換えてもいいんじゃありませんか?

妥当な言い換えであります。

だから、世俗はとても気楽でいいんですが、行き過ぎるとうっとうしくなります。

「人間嫌い」 の内田百間の気持ちも理解できます。

>可愛いものじゃないですか、多少の虚栄は

多少なら、確かに可愛いものです。
行き過ぎるとうっとうしいのは、前述の通りです。

>私は、あまり見栄を張る方じゃないけれど、さりとて、禅坊主みたいな人間と、おつきあいはしたくありません(笑)

それは、マジで偏見というものです。
禅坊主は、お付き合いして楽しい人が多いですよ。
(変な人も多いですが ^^;)

>しかし、朱鷺子さんのコメントは、案外深いところを突いていますね

これについては、朱鷺子さんのコメントへのレスをご参照ください。

>この頃、tak-shonai さんの血中縄文値が上がっている様に思います(笑)

暑さのせいです。きっと (^o^)

投稿: tak | 2011年7月15日 20:27

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