日本のマスコミで一番「適切」なのは「無難」であること
近頃、トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭を思い出した。手元の新潮文庫版では「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」(木村浩・訳) となっている。
きっかけは例の東海テレビの「不適切なテロップ」問題だ。これは率直に言えば「不適切な」というよりは「不穏当な」とか「悪意のある」とか「ドジで軽はずみな」とかいう方が「適切」だと思うのだが、そこはそれ、「不適切テロップ」という無難な言い方で収められている。日本のマスコミでは「無難」であることが最も「適切」と考えられている。
「不適切な」という形容詞(いや、形容動詞というのかな?)は、ものすごく便利な言葉である。「適切」は限られているが、「不適切」のバリエーションはほとんど無限大だ。だから問題をかもすようなことはすべて「不適切な○○」とぼかしておけば無難に収まる。要するに、ドジをかましたら「不適切な○○がございました」として謝っておけばいい。
「不適切な」という便利な言葉が、日本でこれほどまでに重宝されるようになったのは、ビル・クリントンのホワイトハウス内不倫が明るみに出て以来なんじゃないかと、私は思っている。モニカ・ルインスキーとの「不適切な関係」というのが、大変な話題となった。
ビル・クリントンが "I did have a relationship with Ms. Lewinsky that was not appropriate." ともったいぶった告白をしたのを受けて報道されたもので、"relationship that was not appropriate" (不適切な関係) というのは、1995年の流行語となったほどだ。あれ以来、「不適切な」というのはとても便利な言葉として使われるようになった。
ちょっとググってみただけで、まあ、本当に様々なドジの謝罪に関して「不適切な」が使われている(参照)。しかし、「不適切な」なことに関してあまりにも次々に謝りすぎると、世の中つまらなくなるんじゃあるまいか。
冒頭に触れたように、「適切な」ものはとても一様で限られているが、「不適切な」ものは多様なのだ。ときには敢えて「不適切」を押し通すことで「おもしろい」「意義のある」ものが生まれる。適切すぎると、あまりにも無難でつまらないのである。
まあ、そこは「さじ加減」の問題なのだけれど、あの震災以後のマスコミの原発に関する報道姿勢は、確かに「無難」を追うことを「適切」としすぎていたことが問題だったと思われるところがある。
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